決断のタイミングは難しいですよね。
その局面に立っている以上は、何かを懸念しているということ。懸念することすなわち、「決断することで後悔するかもしれないこと」がその先に待っている訳だから、中庸に濁しておきたいという気持ちも、平和主義的な観点からは分からなくもないです。

でも、決断を重ねていかないと、人は前に進めないんですよね。

それが紐つける後悔の可能性すらも見やることない、場合によってはエゴ、人でなしとも揶揄される強さ(?)があればいいのだけれど、一概に捨てきれるものばかりがその局面に揃ってるような恵まれた状況は、僕の経験上ではないです。むしろ、いや、当然と言うべきか後悔するようなことばかり。

当然、選んできたものも含め、魅力あるモノ、ヒトに恵まれてるからこそ立てる多くの局面があるのだろうけれど、常になんらかの後悔を抱えているのが人間なんじゃないかなと思ってます。

いっぱい後悔を抱えては、進めなくなることも経験してきているけれどね。そのパッキングだけは上手になったよなぁ。。。それでも教科書と一緒で、進めなくともなにかを捨ててしまうのは、それまでの積み重ねた決断の礎をもふいにすることにもなってしまうような、崩壊的な感覚に苛まれてしまうから、自己否定をクセづけないためにもなるだけ多くの後悔を見える位置に置いています。
自らに理解をさせていれば、そんなもんです。

そうやって進めないことを少しでも正当化しようとするのはズルいんだろうな。
前のめりに倒れ込む勇気をかき集めながら、タイミングばかりをはかっているのが現状のような気もするけれど、もうちょっとでとてもシンプルなカタチに収まるはずなので。

後悔と供に生き、それ以上の期待と可能性を捻出する。難しく言っちゃえばそんなものだけど、黒白だらけの、目に悪い世界には到底生きられそうにありません。少なくとも、俺は。

整理好きが功を奏してるかな。
A型でよかったと叫びたいね。

笑顔って強いですよね。
記憶にも残りやすいそのメカニズムには少し興味があるのだけど、言葉やプレゼントだとか、人間の外側にある対象に置き換えたところで、そのすべてを伝えることは出来なくて。
そんな中、表情で表す感情の中でも、もうホントそのまんま、思いをポイと渡してくれる様な強さというのか魅力というのか。なんだか不確かなチカラが笑顔には含まれているよなぁと。
イチ感情表現としてはあまりに出来すぎた機能なんじゃないかなと思うんですよね。


女のコはどうなのか知らないけれど、男は意外と、おしゃれだ、可愛いだとか、スタイルだとかそっちのけで「笑顔がステキな人」に無条件に惹かれやすいような気がしますね。・・・オレだけか?
いやいや、でもよく聞くのさ。二人の馴れ初めだとか好きなところを挙げる場合に、右に倣う様に「笑顔がステキ」だとか言っちゃってるのを目の当たりにしちゃうのさ。

その場その時には鼻で笑いそうなそのありきたりな回答も、自身を振り返ってみれば、どんなケースもなんだかんだ同じようことが言えちゃっているようで。。。えぇ、まぁ、笑顔には惹かれやすいような気もしなくではない。。。のでしょう!


たとえズルい笑顔であったとしても、否定しきれませんもんね。
ズルい奴らにも再三騙されてはきているので、ただの笑顔にしても、教訓をもとにいろいろと学ぶべきところ、構えるところは多いのだけれど、信じたいその笑顔には独特なものを感じる様な気もします。


広義の意味で、いい笑顔に会いたいね。
コトバに落とせない思いからも、人にはまだまだ学びたいことがたくさんあるから。
カッコいいジジイになりたいと思いました。

言い方が難しいんですけどね。
カッコつけてるジジイでなくて、カッコいいジジイって言えば分かりますかね。
手前の趣味を押しつけるようなプライドの塊のようなカッコつけるばかりのジジイには死んでもなりたくないけれど、達観とも違うな、なにか独特の包容力というか個を認めあう世界に立つ様な、こう、クッとくるような。クッとくるようなやつです。(←いい加減)

今はそうでなくて全然いいんだけど、ジジイになった時にカッコいいのって今から目指しておかないとなれないような気がするな。
ふと駐車場で見かけたジジイが正に地でかっこよさを醸し出すジジイでして、ファッションでなく表情でなくなんだろう、動きというか仕草にそういうのってでてるんでしょうね。一瞬で目を奪われたのは久々かもしれない。

明るいところで目にしても違ってたのかもしれないなとも今思い起こせばそう考えてしまうのだけど、薄い暗がりを活きる立ち振る舞いも相当な技量だと僕は思います。


そうなるまでには、おそらくいろんな経験を積んでおかないといけないんでしょうね。
大きな先の目標になってしまうのかもしれないけれど、来る時代に活きてるってやっぱカッコいいと思うなぁ。

一歩、一歩。
意識を経験に刷り込みながら、現在を大切に生きたいなと思い始め、小さなことだけど、今日から安全運転を心がけてますw。
遊ぶにしても仕事にしても、一歩必ず歩幅を設けてしまうのは小さな頃からの悪いクセで、おかげで損はしなかったけれど100%楽しめるかといえばそうじゃないことのが多かった。
あ、踏み込むんですよ、それでも。でも、一歩向こうでなくて、立ち位置に戻るようなけして身を削るような飛び込み方はしてこなかった、それだけなんですけどね。

本当はもっとしたいことや伝えたいことがあるのに、それを抑えてしまって損をするパターンはとても多かったけど、それは自分の選択上、その後のものであるから、殆どの場合で納得をさせることが出来たりするので、悔やむことも小さくて済むことのがほとんどでした。

でも、"後のこと"をどうしてもケアしてしまって、その時を力出せずにいるのはやっぱもったいないよね。


元々、体は強くはない方だから、どこまで持つのかは分からないままにおそるおそるコントロールしてきたつもりだけど、いつも決まりきらない”後のこと”を描くのは、性分とはいえもう少し無くてもいいよなーと、いろんな人に触れること、いろいろと活動してみることで教わった/変わったような気がします。

不器用なだけなんですよね、多分。体、意識以上にココロが不器用だ。
考えてばかりいて、それ以上は必要ない準備運動に時間をかけるより、もう少し本番のために力をシフトすることも必要だな。あるべき想定と、不要な憶測を一緒くたにしないで飛び込んじゃおうやね。うん、なんか必要だよそれ。

考えない生活。
リスクへのアンテナは元々とっても敏感だけど、この冬を楽しく乗り切るキーワードとして、ちょいと胸ポケットあたりに忍ばせておこうかしらね。
なんて、書きながらつい最近「iPodを聞けるFMチューナー」を導入したんですけどね。

音質こそはひどいものではあるけれど、それも及第として使い始めるはいいけれど、「シャッフル」を使って出会い頭的な音楽を楽しむようになると、思いもよらない記憶が急に蘇るようになりまして。
車内がいきなり中学校の廊下だったり、FAMILYの壁際のイスとは言えないような腰掛け用段差だったり、川沿いのベンチだったりに変わるようなけ気分のたたましさに軽くおそわれるような感覚にも陥ります。

困る程ではないんだけど、予定調和でない思い出との鉢合わせが多い分、クルマの中で少し安らぐ感じがしないような空気にも包まれはじめたような気がします。
便利だし、機会だし、場合によってはこーゆーものこそが重宝されるんだろうけれど、運転中はSlightlyな空気の変遷が今の僕にはマッチしてる様です。

同じ曲を、同じ曲がり角で聞いて。
同じ信号に捕まるんだもの、それくらいの生活観の中で、さかむけ程度の変化を楽しんでいければいいのかしらね。

じじーだなw。