理解してもらうための努力はけして無駄じゃない。
ただ、それを放棄した時点で、何を言う権利は剥奪される。

その岐路に立たされた時、
どう立ち回るかに自由を与えられている以上、
一方的とされる状況はほぼ存在しない。

あきらめが悪く、ひたむきである以上、
認められる可能性は潰えることがない。
そんな社会を信じているから、
言えることがあって、動けることがあるんですよね。

そう生きてみると、結構イイことあるんだな、これが。
僕は単純に「他人からの見た目」には気を払わない人です。

面倒くさがりな部分は大半を占めているんですけどねw。
それ以上に、崖っぷちに立たされた時の他人の残酷さを、
結構目の当たりにしてきているクチなので、
”どんなにフォローアップしても面白いほど脆く崩れさる”それに気を払うような手間は、
自分自身に費やした方が余程無駄が無いと考えているので。

なにより、自分自身が他人に気を払わないのに、
気を払われることを気にするのはあまりにナンセンス。


逆に、人に対してそこまで印象を重要視する人間ってそこまでいるんですかね?
その印象を判断材料に公私を生き抜くほど、損を買って出る趣味は僕にはないんですが、
これは僕は楽しくないと思うんですよね。

人に吹聴されるそれが、その人を形作る想像力はたくましい限りですが、
それについては真実に近いとする保証ですら、捏造以外のなにものでもない。
行動範囲の限りある人間、知的好奇心とはまた別物ですが、
なんでも知ってる風の人間こそ嘘の固まりであることはしばしばです。
そういった人間になりたくないからこそ、信じることを狭めていくのは、
処世術としては僕はありだと考えています。


思い込まず、判断をする中で、現代には「分からない」という答えこそが、
真摯と受け止められるのは、ある意味必然なんですよね。
その選択肢が許されないとすれば、
それはおかれている環境がどうかしていると思った方がいいのかも。

そんな時代と言うべきか。
僕はそれこそが人間の領域だと思っています。
$BANANA BOAT

開幕も間近と言うことで。
今回はどうしても日本びいきにはなれそうにもないので、
こんな感じに仕上げました。

ちょいと冒険してるところもあるんですが、そこは商用ではないということでご勘弁を。
しっかしながら、トレースしてみれば、さすが。ニクい(死語)デザインでしたw。
敵を作らなければ自己を保てないとすれば、それはあまりに幼稚すぎる。

何より、人を踏み台にするやり方が気に入らない。
自らの努力の怠りも、限界も、機運すら比較対象に因を置くなんて、
おこがましいにもほどがある。

その手前勝手な正当性こそは簡単に崩せるものなので、
本当に気に入らない時はそこを問いただしてやるのが一番手っ取り早いです。
元をたどればでっちあげ。脆いのは当然なんだよね。


出来る人こそは、比較要素にあまり重きを置いていないんですよね。

競争社会故に、勝ち上がることの大切さ、必要性にももちろん重きを置くべきなんですけれど、
それ以上に、自己研磨に勤しみ、人を認め、認めさせることに従事する人間は
比較する以上に世の中に通ずる術を心得ている。

他人に拠らない。
そうやって立ち回れて、はじめて声は届く様になるもんです。
揃って、それをひもつけるだけでなにかが生まれようとしている。
その手前でうずうずしている状態です。
自己満の枠は間違いなく超えられそうな気がしていて、
ワクワクしてるんですけどね。

「出来ること」は理解がいった。次は、「人が何を求めているか」。

それこそがソリューションとして人に受け入れられるものになるし、
利益を生むものになるはず。
がんばれ、俺。