コホン。

まぁ、気がついたとも言いにくいですが、
ここ1週間えらくTwitterについて調べあげてます。
(もちろん、仕事です。これも。)

アカウント自体は一年前くらいからもってたんですけどね。
周りにやる人がいないもんだから、完全放置したままだったんですが、
ここ最近はこれでもかと言わんばかりにTwitterまみれ。

家に帰りゃ、Twitterを題材(?)にしたドラマがやってたり、
ホント自然発生的にこのところはTwitterに囲まれつつあります。

あとUSREAMね。
自局を立ち上げてみたけれど、こりゃすごい時代になったもんだと感じます。

ま、これらをどう収益に結びつけるかといったところなんですが、
ここまで出かけてるものがありそうで、なかなか捻出出来ないものを、
両雄には感じるんですけどねー。

このブログの右側にはちょこんとありますが、
アカウントもたれてる方は、styleupk5をフォローよろしくお願いします。
政治の話なんかみてるとさ。派閥って必要なんですよね。
どうしても「数=答え」を盲目的にも紐つけなくちゃいけない節もあって、
どうとも言い切れないことを、なんとしても進めなきゃで推進されているのが、
政治であり、世の中だと思うんです。

僕はかねてからそういった流れには乗り切れない節があって、
人が薦めるから、みんなが選ぶからで自らを振り向くような感覚に陥る場合には、
必ず止まる様にしています。

オレオレってんじゃないんですけどね。
勢いがある時こそ、注意をはらわなければ怖いっていうのもありますし、
嫌いなものを好きといわされたり、その逆があったりするのは、
生きていてツマンナイと感じることばかりだったので。


だから、言いにくいこともあえて言うし、
認めたくないこともあえて認める様にしています。

幸いにも、そう立ち続けるからこそ、
受け入れてくれる人がたくさんいてくれているのは、心底感謝。
こればかりは、周囲に恵まれてきたんでしょうね。


なので、オレ色に染めてやろうと食ってかかる人間には、
とことんなまでに対抗します。
大抵にして、道理がチンプンカンプンである場合が多いし、
何より、そのオレ色がどこかみたことある色合いでしかなかったりするからです。

勢いのあるそういう人も嫌いじゃないんです。嫌いじゃないんですが、
そこまで魅力ある色を押し出してくる人間はそういないもので、
なかなか受け入れる気にはなれません。


という見方こそが、プライドだとか偏屈だとか扱われてしまうのは仕方なしとも思っていますが、
僕が周りに置いている人っていうのは、大概にしてそんな人。他に類せない色ばかりです。
(※最近、いい色の人見つけました♪)
インディペンデンスな人を好むのは、そういった理由なんですよね。

人にこうあってほしい希望がある場合、
それを自らが体現するほか周囲を変える術はない。

不器用なんですよ、これ。
でも、これまでで一番確実な道だったし、そう信じてます。

人伝の情報は、余程信をおいた人間でない限りは信用してません。
友達だとか、親友だとかとは別のカテゴリなんですよね、情報源っていうのはさ。

人が~~だった。~~って決まったらしい。
なーんて、情報が先に入ったところで、先行して動くことで利益を得た試しがまずないし、
それを直に聞いて、そこから対応することで何かが失われた経験もほとんどないんですよね。

むしろ、その「直に触れるタイミング」っていうのが一番強みとなるところでもあって、
そのタイミングを捨てる、つまるところ、いらない責任を下手に請け負ってまで
得ようとしなければいけないものなんてあるんでしょうかね?

人が生きるタイムライン以上に不安定な情報を手に、
判断し、動くことなんて、僕には到底出来っこありません。


着実であるということ、無駄が無いということにおいては常に真剣でいたいというのが本音で、
正しくありたいと言うよりは有用に生きていたい。
何より、自分の納得を引き出せる上に、不確かな中に生きるのは人一倍怖く感じてます。

だーかーら、面白くないと言われたりもするのだけどw、
振り回されることが許されるほどのよっぽどの時間もないんだよね。

煽るくらいに、焦らなくちゃいけない、そんな危機感は今は絶対離しちゃいけないと思うので、
教訓をもとに真っ直ぐ走ってやるのが、このところの信念ではあります。

ま、人は少し関わると「意識」がベールになってしまうとでも言えてしまうんですかね。
口コミも、井戸端でなくマス的な扱いをしていかないことには、ホント恥をかくだけです。
最近の子供ってのは、すさまじいポテンシャルがあるんですかね。
子供店長しかり、今日のロケにお呼びだてしたエキストラのお子さんは、
エキストラにはもったいないくらいしっかり「演技」してました。

率先して「どう映ればいいか」を確認していたし、
笑顔の作り方をあんな年齢で知っているとすれば、
これは末恐ろしい子に巡り会えたなと、手放しで思う訳です。

そんな子役にも学ぶところはあるなぁと、感心。
今回はスタッフにも恵まれ、学びの多い時間に出来たことが、
蔓延る後腐れを払拭してくれた様にも思えます。

頼れるという要素を久しぶりに感じました。
感謝。
人間、出来ることなんて限られてます。
2本の腕、ひとつの頭。指は10本以上にはならないんだもの。
物理的に無理は、意識とかそんなじゃなく存在するものなんです。

弱さを認めるだとか、そんな美談に落とし込みたいわけではなくて、
出来もしないことを出来るということが、どれだけ人の期待を裏切る行為かを知れば、
その返答こそが安易なものであってはいけないことはよく分かるはず。

軽卒に返事をしないこと、可能性は判断材料にならないということを知る人間は、
そこらへんが特に慎重で、それ故の信頼関係が築かれているのを見てきています。


ただ出来ないことを「出来る」と言ってしまうような背景には、
その技術以上に難しいことが要求されている。

出来そうなことを出来ると言うのとはまた別で、
調べてみないことにはのレベルを、浅はかに「出来るカテゴリ」に放り込む、
その無神経さが自らの首を絞めると同時に、信頼を失墜させているということ。
その蓄積が人間性を含むすべての評価につながっているということ。

語らずもがなといったところですが、
自らに論理の破綻を招いてるようじゃ、同情出来るわけがない。