人間にとって、それぞれ「生きやすい」っていうのはすごく大事で、それこそあらゆるものを投げ打ってでも手に入れるために必死になる人間の性は、深度は違っても否定しきれないものなんだと思う。

だって、生きやすいんだもの。飛び込んだ環境、与えられた環境の条件下を最大限に活用して、選択肢を生きやすく並べていくことは、けしてワガママなだけじゃない。世界を見渡せば、その環境の差があるものだとしても、人間にはその中に各々の小さな幸せを見つける機能が備わってる。その幸せに大小は無いと僕は信じてます。

そういった環境を改善というか、知らないものを取り込んでみたところで、様々なスタンダードが変貌する瞬間が来る。変わらないもの、変えられないものを変える必要なんてないけれど、その環境下を最大に活用する視点が与えられる瞬間、人は行動選択の岐路に辿り着く。

常に新しい選択肢ばかりに移り気になることではなくて、今こそをより尊ぶべきものと再認識したりね。
環境を広げることで、広げてみたところで、今、手にするそれがどういう価値づけなのかを、より真実に近い形で認識することが出来る。端折るんだけど、10年前の海外での生活を経てみたところで感じていたのは、そういったところに貪欲であればある程、間違いが少ないLIFEを築くことが出来ること。今までは勿論、最近はつくづくそう思います。

思いたいばかりが、本来ありたい自分を指し示すわけじゃない。事実の連鎖に導かれて、今ある価値を見出すこと。
新しい価値でもいいじゃない、確固たるものであれ、変容するものであれ、生きやすいことが大事だよということを受け入れていかないと、最終的に大損ブッコくような気がしてます。なんとなく。

まだまだ知らない世界がたくさんあるけれど、みなさん、お手柔らかにね?
続きっちゃ続きの記事なる様な気もするけれど、人に逢いにいくと変化する自分を感じられる。その人のもつもうひとつの世界の相乗が、いろんな可能性の種を与えてくれて、想像し得ない変化をもたらしてくれていると僕自身は感じてます。

能動的に変化を求めてるところもあるのだけど、その先に囲まれる人の選択には僕は相当恵まれている一人。
それだけに自分が素晴らしくいい変化をしているよ★とかのアピールではけしてないんだけれど、それでも自分を楽しく、そして世の中に働きかけられる最低限のラインを保てる今の立ち位置は僕自身は随分と重宝してます。

そんな変化が一周する頃に、関わってくれた人全てに何かを残せていることがとりあえずの目標。
社会を通じてか、表情を通じてか、過去を通じてか、助けとまではいえない小さな小さなことを、変化し続ける先にそれぞれの一助となる様なものとして、残せていける様に前向きに変化を続けるつもりです。


それを踏まえてかどうかは分かんないけれど、世の中まだまだ捨てたもんじゃないと知らされた今日は、ここ最近ではとても有意義な一日だった。
本当に些細なこと、とかく何をしてくれたわけでもないのだけれど、ただただその存在がこのところの大きな不安を一掃してくれた素晴らしい瞬間にまみえることが出来て、本当に助かった。

そら社会だもの、まともな人はやっぱいてくれるよ:)
明日からまたがんばれそうです★
人は成長はもちろん、時間とともに変わっていくもの。
変わらないものを携えつつも、徐々に徐々に有用な型を見つけては、定めて、そこに当てはまる様に変わっていくもの。

矛盾なような気もしてね。
変わらないことへの尊厳と、変わることへの美徳。日本語のまま、そのまま直訳したところで、キレイな180度の矢印を描く事象にして、常に人が思い描くものなんですよね、どちらも。


多分、人ってそれそのものは変わらないものであって、実は変えられているものなんだと思うんです。何かに。

言葉遊びをしているわけではなくてさ。単純に自らに変われるチカラは、人間、本来余程持ち得てなくて、変わるための努力っていうのは、多分にして環境に委ねられるファクターの様な気がするな。

事実、変わりたいという意思を持ちながら、直接的に変わるきっかけやタイミングは外的要因に委ねてる。変わるための努力って、環境整備こそが必要なファクターだということを、言葉にしなくても本能的に理解している人間性って、どこかあるものだと思うんです。
例えば、憧れる人がいて。あぁいう人になりたいそれを、見た目から、振る舞いから落とし込んでいく様にすると、なんだかんだ中身の部分も似ちゃってくる、というか変化することを実感出来る。そんな経験は誰しもにもあるような気がするし、続けるための反復的な環境、忘れるための畑違いの紐つけなんてのも、変わりたい本能の現れであって、自分自身では変われないことの裏付け。

環境をどう作り込むかで、人の育ちが違ってくる様に、人はそれにあわせて変化していく機能こそを持っているんですよね。変わるようで、実は変えられている。


そういった意味では、環境整備の手前、「ありたい自分、状況」を描くことって、結構大切な根っこの部分なんだろうなと思う訳です。描き方次第でどうにでもなる。希望にも、戒めにも、持ちうる倫理観を照らし合わせながら、そこからの選択を紡ぐんです。

その描くものを共有出来た時はじめて、人は本当の意味で人に触れられるんだろうな。
自然と隣にいたり、ウマがあったりする人間って、その共有が近くあるから、そこから似てきたり、似たものを見出したりするものになるんじゃないですかね。

変わるって難しいとはいうけれど、そのまんまなんだ。
環境をはじめとする、「変えられるための整備」をしない限りは、変わらないものなんだと思います。

もちろん、心ない他人の意向に知らずの内に変えさせられてることにも注意をしながらね。
ありたい自分のための環境づくりをすることを、なにかHAPPYなカタチに落ち着かせられることが、人の求める理想なんだろうな。

本能で描き、理性で整備する。
人の色って、そういうところから生まれてくるもんだと思います。
いつもなら「書き出し」を思い浮かべると、文章が浮かんでくるものなんですけどね。
今日はさっぱり浮かばないや。

主観さえも捨て去れるくらいにリリースされて、すべての感情が「5」ってイメージ。
何をする、書く、動くにしてもおそらく中庸になる。そんな夜です。

こういう日も必要。。。なんて適当なことは言いません。必要ないものはやっぱ必要ない。
活動している実感が無い上に、やっぱり時間を無駄にしているような気にもなって、ここを屈伸的な位置づけの時間に出来ることが、今描く理想の時間。

がんばろうとは違うな、大丈夫とだけいい聞かせたい。

人間の持ちうるやさしい機能に、今を委ねたいと思います。
ひょんなことからと言ってしまえばとても失礼な話なのかもしれないけれど、最近はいろんな人とたくさんの繋がりを、新しくも懐かしくも持てたおかげで、いろいろと救われてます。
※もちろん、オンラインでなくね。

どうしても打開出来ないその心持ちだとか、可能性を多角的に感じさせてくれる様々な人の様々な気遣い、表現、言葉だとか。多分、自分一人、ぐぐもっていては届かなかったであろうところまで、今は届いている様な、そんな気がしてます。
まだまだ雲がすべて吹き飛んだとはまだまだ到底言えないけれど、それでも好きな空が少しだけ見えてきた。

そこからはじめて地面の固さを知って、足下がよく見えて、踏み出せる一歩があって。
語らないまでも、たくさんの価値にちゃんと触れていられるのは、間違いなく今を取り巻く人々のおかげ。人の笑顔って不思議な力を持ってるもんだなと改めて思います。

多謝。


少しばかり不安定な感情だけがいろんな表情を生んでしまうけれど、行動がたくさんの原因を緩和してくれる。救ってくれた人の分だけ、自分自身いろんな人を救ってあげられる様、笑顔を心がけていきたい。

素直に、シンプルに、少しおバカに。

考え散らかして整理もされないままだけど、あふれる感情ってなんかこんな感じ。
たまにはそういう雑多なのも必要、必要★A型だけどさ:P