土の栄養状態が良すぎて、大きく育った、うちのオバケアロエ。
上の方の伸び具合が、なんかこわい。

ある朝、歯を磨いているときに、思った。
「これから、自分にとって良くない事が起こったら、自分のせいだと思い
反対に、良いことが起こったら、周りの人のお陰だと思おう。」
この事をブログに書こうと思っていたら、翌日。
読書後のアウトプットをメーリングリストで配布していくれているNさんから、送られてきたメールに。
・・・同じことが書いてあった。
読んだ本の内容に、上記のことが書いてあったという。
先、越された感。なんとなく、嬉しいようでふてくされつつ、これまでそのままにしておいた。
同じような事を考えている人は、結構多いかもしれませんね。
私は、「客観的に自分を見ることの大切さ」を学び始めたときに、この結論にいたりました。
最初、「客観視」というのを、スランプの時に使っていました。
スランプの時、その状態を客観的に、あたかも第三者かのような視点で見ようとする。
でも、それって何か違うということに気付きました。
何故ならば、客観的に見るというのは、すなわち、感情の起伏を奪うからです。
客観的に自分を見る⇔自分の感情の起伏を捨てる、置いておく
このような事は、辛い時にこそ使いたくなるのが、人間の性分ってもんです。
あんまり落ちたくないし。
客観的でクールな自分でいたいし。
でも、ひょっとして逆だな、と思ったわけです。
客観視しなければならないのは、うまくいって絶好調!って時かも、と。
辛いときこそ、思いっきり落ちてみる。
ちょっと怖いけど。
内省してみる。
そして、うまくいっている時には、「自分、すごい。最高。」と褒め称えた上で(←ここ重要)
周りの人の協力がいかにあったかを、客観的に考えてみる。
外に目を向けてみる。
辛いときは、他人のせいにしてしまうもの、無意識で。
良いときは、自分の手柄にしてしまうもの、こちらも無意識で。
その辺のバランスをうまく取るものかもしれないですね、客観視というヤツは。
とりあえずなんにせよ、人として美しくありたいものです。
その一言に尽きる。




