かお「宇宙は無限だという。

  しかし、「無限」という概念は、時間軸において、人間が理解できない範囲(三次元の限界)を

  便宜的につけた名称にすぎず、それは、「無」という概念にも同じことがいえる。

  すなわち、「無限」と「無」の概念は、表裏一体、限りなく同じだと言えるのではないか。
  
  そうであれば、無限に広がる宇宙は、それと同時に無に戻っているとも言え、

  結局は、例えば宇宙とは、人の瞳の中に存在するものではないか」


とか、そんな怪しい事を考えたりしてました。



「かぐや」の打ち上げのニュースで、ふと宇宙の事を考えていたとき。


宇宙は無限に広がるものであるというけれど、だけどそれって本当は、

私の隣にいる恋人の瞳の中にあったりしてね・・・とか思ったりしたわけです。



彼の瞳の中には、確かに宇宙があり、だからこそ私は、喧嘩(10割方、私が怒っている)をしても

彼の目をみると、つい笑ってしまう・・・・そしてそこにはいつも、答えがある。



かおあ、まだ、右上の×ボタン、押さないでください。



こういう事を、考えるの、好きです。


今日、同居人Yのブログ  を読んだことがきっかけで、ある言葉の意味を知りました。



【形而上学(けいじじょうがく)】

現象を「超越」してその背後にある本質や根本的な世界、存在を純粋な思考(理性)、あるいは

直感によって探求・研究する学問。

(「はてなダイアリー」より)



・・・おおビックリマーク


自分がこの言葉の意味を知らなかったことにも驚きだけど

こんな素晴らしい学問があったとはぁ~~~キラキラ


さっそく、安部公房の『燃えつきた地図』という小説を借りました本


本を目の前にして味わう、久々のワクワク感音譜

今夜から、読み始めます煙管