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数多くの体験から導き出された、ケイ独自の観点から発振するスピリチュアルなお話&不思議話、そして何気ない日常のお話です。

 
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最近、BOOK・OFFで古本を購入しました。『 死ぬときに後悔すること25 』という本です。
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平成21年に出版された本なんですが、BOOK・OFFで100円だったので買いました。実は、ずっと前に本屋でこの本を見つけて泣きながら立ち読みした事がありました。この本がどうも気になった私は、次の日にも本屋に行って買って読めばいいのに今度は嗚咽を漏らしながら立ち読みして大部分を読んでしまいました。とにかく泣けて泣けてしょうがなかったです。

この『  死ぬときに後悔すること25 』は
1000人の死を見届けた終末期医療の専門家、緩和医療医・大津秀一さんが書かれた本です。

この本の、まえがきを少しご紹介します。

『 人間は後悔とは不可分の生き物である。現実問題、私が見届けてきた患者さんたちは、大なり小なり何らかの「やり残したこと」を抱えていた。けれども、その後悔の程度には大きな違いがあった。単純な話だか、明日死ぬかもしれないと思って生きてきた人間は、後悔が少ない。明日死ぬかもしれないと思う人間は、限られた生の時間を精一杯生きようとする人間であり、一日一日に最善を尽くそうとする人間である。一期一会を思う人間である。また、何百例も症例が集積すると、ひょっとすると皆が抱えている後悔、人生で解き残す問題は、実はそれほど多様性がないのではないかということがわかってきた。要するに、人が後悔する内容は人類皆兄弟、だいたい決まっているのである。だったら、終末期に皆が必ず後悔すること、それを前もって紹介し、元気なうちからやっておけばよいのではないか、そのような思いから生まれたのがこの本である。やり残したことを作らないために、健康なうちからやるべきことを全てやってしまおう!そういう試みである。

実際、いまわの際に「先生、私はもう思い残すことはないですよ」、そう胸を張った数少ない患者さんたちは、世間一般よりずっと早くから、後悔を残さないように「準備」をしてきたように思えた。彼らの生き方は、いつ死んでも後悔が少ないような、問題を後に残さない生き方である。確かに、終末期になってからよりも、病気になる前の体が完調なうちから、様々なことを成し遂げ、あるいはなし終えておくのが一番良いのは論をまたないだろう。終末期の患者さんが、かつて後悔していた、その事例を取り上げて検討を加え、私は代表的な悩み二十五をここに紹介することにした。ぜひこれらを早めに遂行し、何とかしておいて欲しい。そうすれば、後悔が少ない一生が用意されるだろう。』

いかがでしょうか、やはり死ぬ時になって体の自由がきかなくなってから「あれをしておけば良かった、これをしておけば良かった」と後悔はしたくないですね✨


それでは『死ぬときに後悔すること25』の目次をご紹介します。

(1)健康を大切にしなかったこと。
(2)たばこを止めなかったこと。
(3)生前の意思を示さなかったこと。
(4)治療の意味を見失ってしまったこと
(5)自分のやりたいことをやらなかったこと。
(6)夢をかなえられなかったこと。
(7)悪事に手を染めたこと。
(8)感情に振り回された一生を過ごしたこと。
(9)他人に優しくしなかったこと。
(10)自分が一番と信じて疑わなかったこと。
(11)遺産をどうするか決めなかったこと。
(12)自分の葬儀を考えなかったこと。
(13)故郷に帰らなかったこと。
(14)美味しいものを食べておかなかったこと。
(15)仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと。
(16)行きたい場所に旅行しなかったこと。
(17)会いたい人に会っておかなかったこと。
(18)記憶に残る恋愛をしなかったこと。
(19)結婚をしなかったこと。
(20)子供を育てなかったこと。
(21)子供を結婚させなかったこと。
(22)自分の生きた証を残さなかったこと。
(23)生と死の問題を乗り越えられなかったこと。
(24)神仏の教えを知らなかったこと。
(25)愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと。



どうでしょうか、ご興味のあるものはありましたでしょうか、死ぬときにに後悔しそうな目次がありましたでしょうか。私は
特に(25)の愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと。に目が向きました。読んだ時も随分と涙したお話でしたが、家族や周りにいる人、そして全てに『ありがとう』の気持ちを「素直」になって伝えていきたいと思いました。また自分の直観といいますか、内なる声に耳を傾ける事も大切だと感じました✨


最後に、あとがきを少しご紹介します。

「桜の花は後悔するのだろうか」
ふとそういうことを思った。千鳥ヶ淵の満開の桜の下を通ったとき、はらはらと一枚の花びらが舞い散った。多くの人が散った花びらには目を止めることなく、歩いていく。あるいは家の前の桜。ゆるい春の通り雨に、花が一輪そのままの形で散り落ちてきた。

一年咲くのを待って、やっと咲いたかと思うと、風のままに桜は散ってしまう。そこには後悔はないだろうか。花が華である満開のときは、ほぼ散るのと同義でもある。そのような生に悔いはないのだろうか。

ある夜、家の前の桜は散華の刻を迎えていた。残る花びらもふとした瞬間に、先に散った花びらの後を追い、ひらひらと空間を漂い地べたの友となる。玄関へと続く石畳は、敷きつめるかのようなピンクの花びらで覆われていた。そのさまを見ながら、しはじ考えた。桜の花は何を思うのだろうか、と。

けれども、そこに不思議と後悔の念は感じられない。短き人の生と比較してもなお、瞬きの間のような命であるけれども、なぜか悲しみは感じないのである。

なぜか。

それは精一杯、生きたからであろう。長短など関係なく、満開に咲くというその務めを全うしたからだろう。


大津秀一

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