人から与えられた大きい迷惑は解決する為に努力をする。

だが、

人から与えられた小さい迷惑は解決したくてもどうしようも出来ない事が多いことに改めて気付かされる初冬の道すがら。

エンジン音やマフラー音が五月蝿いオートバイに乗ってる人は自分は五月蝿くないのだろうか。

ハッキリ言って小さい迷惑。

自転車のブレーキをかける度にキーキー、音を鳴らしている人は自分で五月蝿いとは思わないのだろうか。

ハッキリ言って小さい迷惑。

ガラガラ、ガラガラ、音を立て砂利道も平気な澄まし顔で歩くキャリーバックを持つ人は自分で五月蝿いと思わないのだろうか。

ハッキリ言って小さい迷惑。

アスファルト道をゴー、ゴー、言わせ背後から通り過ぎて行くスケボー乗りは自分で五月蝿くはないのだろうか。

ハッキリ言って、スッコロベと思う。

小さい迷惑は、そこにプチビックリが与えられるので道行く人には厄介であり、その無神経差が人に多少の迷惑をかけているとさえ思わせていないような気がする。

だが、
そう言った人達にも感謝すべきものがある事を思わせてくれる救いの道が一つある。

それは、
人に与えてしまう迷惑ではなく、自分が人に与えられるものは何なのかと言う事。

誰かに喜んでもらう事。
誰かに微笑んでもらう事。
誰かの笑顔を導く事。
誰かの背中を押し、誰かを励ます事。
そう、
世の中に前者達のようなプチ反面教師がいる限り、自分を正せていられれば僕達はきっと人に何かを与え続けられると思う。

そして、
誰から笑顔をもらう事。
誰から元気をもらう事。
誰から勇気をもらう事の大切さを知っていなければ人には何も伝えられない、そんな中。

そう言ったいつも感じている大切なことを更に力強く、そして大事に感じさせてくれる季節が今年も、
さぁ、やって参りました。

私立恵比寿中学、ムック本お渡し会。

今年は恒例の新宿サブナードと別会場とを日にちを分けて二日間開催致しましたが、内容はいつもの様に書きませんので昨年のお渡し会ブログであります、
【 私立恵比寿中学の笑顔と夕刻の調べ 】
を参照して頂ければ読者の皆様に思いは伝わると思います。

ただ、
今回は香港で撮影された衣装を纏い、相変わらずのキラキラに加え、いつものお渡し会より皆んなと少し長めにお話が出来たのは予想外でした。

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個人的には先頭にいた、ぁぃぁぃとお互いにツッコミを入れ合えた楽しさがその後の流れに拍車を掛けられた事で今回のムック本お渡し会優勝者は確実にぁぃぁぃである事が決定した中でもお渡し会としては何時になく印象に残る楽しい会でしたが間違いなく変わらない事は、例え会話をしなかったとしても人々から笑顔を引き出すメンバー各々の輝き、そして与える力の大きさの安定力を抱えるそのいつもの現場が、

誰かに喜んでもらう事。
誰かに微笑んでもらう事。
誰かの笑顔を導く事。
誰かの背中を押し、誰かを励ます事を改めて教えてくれる。

そう、
十代の子達がその全てを教え、
そして自分達が人々に大切な何かを与えることが出来る事を理解している彼女達一人ひとりの想いが自分の想いと重なった時、僕は彼女達を誇りに思う。


誰かにとって小さな迷惑者になってしまうより、

誰かにとって小さな名脇者でいたい。


この想い、

皆さんに、


お渡しできるかな?


zhen

大変ながらく更新出来ませんでした事、誠に深くお詫びを申し上げます。

引越しや仕事の移動に加え、やる事、やらなければいけない事がテンコ盛りの嵐が吹き止む事など一切ない上に我がスマホ崩壊と言った苦虫を噛む怒涛の流れが更に重なった中で、ブログ更新はまだでしょうか?と言った読者の方々からのその沢山の問いは、更新行為自体がもはやファンタジーの世界と思える程に私を遠退けさせていた。

我が中つ国は黒門に行くてを阻まれ、下僕のオークを始め、ゴラムに邪魔をされ、ナズグルに翻弄される中で、サルマン、サウロンなどの壁を一人で乗り越えるのは至難の技と思えた日々。

だが、
そんな過酷な道のりでも前に進む事だけは諦めない自分がいた。

順を追って見よう。

6/27 バルーンツアーNHKホール最終日
7/18 個別握手会
7/28 お台場めざましライブ
7/30 瑞季舞台 ( 若草物語 )
8/9     ひなた写真集お渡し会
8/22 ファミえん長岡2015
9/27 幕張Bowline
10/10 自習 1時間目&ハイタッチ会
                           2時間目&ハイタッチ会
10/17 お台場 フリラ&ハイタッチ会
10/20 池袋エビ中SHOP観覧
10/21 新宿お渡し会
10/25 お台場T-SPOOKハイタッチ会

等々、

更新出来なかったこれまで、出来る限りの道筋に参加して、その度に鋭気を貰って来たが10月に入ってからの私に対する彼女達のリカバリングは凄まじかった。

それは、
先日発売された彼女達の新曲に託された我々への応援メッセージに事は及ぶ。

誰もがヒーローであり、誰でもヒーローになれる。
一人じゃない、皆んなが力強く前に進んで行ける。
色んな形のヒーローがいて、助けられたり、助けたり出来る未来の先は、今、ここからがスタートライン。

10月21日発売/私立恵比寿中学9thシングル
【 スーパーヒーロー 】
 
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今の環境の自分にこの新曲はとても励ませれ、PVでは彼女達の笑顔に癒され、初見では本当に涙が止まらなかった。

彼女達だから出来る事、
彼女達だから成し得れる事、
彼女達だから伝えられる事。

この曲は今後、私立恵比寿中学にとって何時までも心に残る代表曲になると信じている。

先日、10月21日発売に合わせたお渡し会はCDを渡された後にヒーローにしか見えないマントを彼女達から直接、首に掛けて貰えるイベントが行われた。

新宿ルミネエスト屋上で開催されたその情景はフロドを始めとするホビット達がミナスティリスの最上庭園でゴンドールの長となったアラゴルンとその民達から称賛を与えられたそのものに匹敵する。

僕の首、肩からなびく、莉奈、歌穂から贈られた青、そして黄色のマント達はその風を悠々と捉え、彼女達から英気を与えられた自分は今後も誰かの為にヒーローであり続けるよう背中を押してくれるに違いない。

ありがとう、私立恵比寿中学。
ありがとう、校長。

そして、
日々、頑張っている皆さんへ。
讃えよう、彼女達8人を。
そして、
皆んなで微笑もう。

明日に向かって。


zhen

PS: そんな彼女達、私立恵比寿中学が新曲を引っさげて先週金曜日に放送されたミュージックステーションに3回目の出演を果たしました。
番組自体がハロウィン企画なので本来のスーパーヒーローに合わせた衣装ではありませんでしたが歌詞に託されたメッセージと共に煌びやかな彼女達の姿をPVも合わせて是非ともご視聴頂き、日々の活力の糧になって叶えて頂けますと大変幸いに思います。

皆様、今後とも何卒宜しくお願いを申し上げます。
東日本大震災の際、
未曾有の有事であるにも関わらず、
私達日本人が心得ていた、規律、道徳、忍耐、と言うものを忘れずに行えた事でその国民性が世界中から絶賛された。

だが、
それは私達日本人に取って普段の日常と何ら変わらない当たり前の行動をとった迄で絶賛される事の方が理解が出来ないと思えてしまうほど他の国々と言うものは切迫し、殺伐とした世界であると言う事を逆に表面化してしまった事に過ぎない。

その国々の深い歴史や倫理、習慣、国民性を理解すれば致し方がないと思う部分もあるが、そう言った事を理解した上で苦の中でも行動を起こせる風土が整った日本と言う国は傷付いた歴史や経験を真面目に受け止めて来たその事で逆境を乗り越える誇り高き精神と未曾有の危機にも耐え忍ぶ力や心、身体を創り、その教えたるものが現代にも受け継がれている様に思える。

中でも、
私達にとって順番を待つ事や行列に列ぶ事などが普通の行動、普段の光景であるのに対して逆を言えば、列ぶ行為そのもの自体が不得意で不慣れな人が多い国々もある事を思うと、そんな中でも正しく規律や道徳を守れる日本と言う国は、やはり素晴らしいと思う。

がっ、

スーパーのレジ列びに関しては話は別!

今や精算方法を含むその解決策を取り入れているスーパーも存在はしているが行列が出来てしまうのは店側に問題があるのは明白であり、その事で発生するお客さん側の精神的負担は計り知れない。

大手スーパーを見ても時間帯や繁盛時のリサーチや日々のデータなどは必ず残しているはず。

なのに、
一日を通して見ても夕飯前の夕方や仕事帰りなどで夜の買物客が絶対的に多い時間帯を把握しているにも関わらず、レジ数台に行列が出来て暫くしてから店内放送でレジ数とレジ担当者を増員する店側の全く改善されない馬鹿展開は一体全体、何を考えているのだろうかと頭を捻る。

が、しかし、
その光景を意外と楽しんでいる自分が何処かにいたりもする。

幾つか例をあげれば、
レジに列ぶお客さん達は顔には出さずとも内心、みんなイライラ。

前に列ぶ人の買物カゴの中の品数量を見てレジを移動する者。

買物カゴを持つまでも無い品数を手にする人の顔は申し訳なさそう。

自分の後ろに行列が出来ているのを把握しつつ、レジ担当者に鍵の掛かったタバコケースを開けさせ、タバコを頼むデリカシーの無い者は後列の人達から、そんな物はコンビニで買えと思われる。

中には、レジを一台止めさせ宅配物を注文する、店内の空気を一切読まない究極者まで現れる始末。

子供は泣き、
親は怒鳴る、
スーパー内はプチ戦場。

レジでお金を払うのも行列が出来るほど忙しいと察すれば、小銭は出さずにお札だけで会計を済ませるとか列んでいる間に小銭を用意すると言った子供でも出来そうな事を何故しないと苦虫を噛む人も絶対にいるはず。

きっと、前に列ぶ人が見える状態だから皆イライラしてしまうと思うので、此処はレジ前をパーテーションで区切って前の人が見えない個別握手会的に改善してみると皆さんのイライラは少し軽減出来るんではないでしょうかと言う事はさて置いて、たかが買物と言えどもやはり心の余裕は必要であると思えてしまうほど有事の時とは真逆の人間模様が見れる日本のスーパー事情。

本や雑誌が置いてあるスーパーならば店内が落ち着くまで読んで時間を潰したり、子供を抱えている人がいれば列を譲ってあげたり、お年寄りが重い買物カゴを持っていたらレジ台の上まで持ち上げてあげたり、前に列ぶ人の買物カゴの中味を見てそのお宅の今夜の晩御飯を当ててみたり、と自分が列んでいてもそれを良い意味で楽しむ事が出来る心に余裕がある人が増えれば、我が国は更に誇り高き日本の心意気を世界に発信する事が出来る様な気がする。

と、
言う事を頻繁に思うそんな日々が続く中で、レジの行列に列ぶ事なんて微々たるものと感じざるを得ない日を迎えた6月21日は、長蛇の列に身を置く事を当然の様に覚悟しながらも新曲、《 夏だぜジョニー 》に合わせたミニライブとハイタッチ会は今年に入って初の開催であるその為に長時間列ばなければいけない現実の方がスーパーのレジに列ぶよりも遥かに大変である事はファミリーならば誰もがそれを知る。

3月にお台場で開催されたトークイベント以来の列並びは毎度の事で慣れてはいるものの、時間が経つ度に雨足が強くなってゆくその展開がライブやイベント事となると必ず空が怪しいとなる久しぶりのエビ中天気に懐かしさや昔の想い出までをも回想させられていた。

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今回のミニライブとハイタッチ会はフリーと言えども抽選で当たらなければ参加することが出来ない上に当選しても与えられたブロック分けより更にステージ近くで観たいとなれば、いつもの様に優先権を確保しないと前方での観覧は出来ない。

ただ、
早朝から列んで優先権を確保したとしても早く列んだからと言って良い優先整理番号が手元に来るとは限らない事を知らない新しいファンが増えていた事やイベント現場数を余り経て来ていないと思われるイベント会社側の誘導管理体制の弱さがこう言った催し物に不慣れな一部の新規ファンには多少の不安と混乱を招いていたのは確かだった。

2回に分けて行われた今回のイベントは当初1部に参加する人と2部に参加する人達が入り乱れて長蛇の一例を成していたが1部の開演時間が徐々に迫って来ていた事で途中から両部を分けて列ばせるアナウンスをイベント運営側が遅れて行なった為に全く理解をしていなかった2部参加の新規ファンの中には自分より後から列んだ者に先を越されたと勘違いをした事で誘導者に大声で喰って掛かる者まで出してしまう結果までになっていた。

正直、
フリーライブと言うものは無料と言う事やトライアル的な人達もいる為に普段のライブより客の質は確実に落ちるのは想定内だが勘違いとは言え、列に対する苦情を誘導係の説明を落ち着いて聞こうとせずにいきなり文句を発する者を見たのは長年、多くの場数を経て来た中でも初めて見る光景。

名が売れて来ると新規のファンが増え、現場での冷静さを欠いてしまう者が多くなるのは致し方がないが、そんな事でトラブルを起こしてイライラした後にライブを心底楽しめる訳がない。

普通の神経であれば、あからさまに列んでいる列に割り込む行為をする者がいるだろうか?と冷静に判断するであろうし、分からなければ周りにいる人や前後に列ぶ人達に事情を聞けば事は済む。

どんな事であれ、列に割り込む事やルールを守らない行為には誰でも腹が立つのは当たり前であるが、そんな事よりもエビ中ファミリーは礼儀正しく、謙虚な方が大部分を占める事に加えて、何よりもエビ中の現場でそう言ったトラブルなんか見たくはないと思っている人がその殆んどである中で、いつも言っている様に自分の感情を出す前に周囲の状況を把握し、その場の判断、行動を冷静に行なえる心の余裕をしっかりと持った新規ファンが増えなければ、周りの人に迷惑をかけたり、不愉快な思いをさせてしまう事はこれからもっと彼女達のファンになりたければエビ中の事だけでは無く、愛すべきファミリー達全般の事も学習して欲しい。

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フリーライブ自体は1部、5曲ほどの約30分程度ではあったが向日葵をモチーフにした新衣装を纏いハツラツとしたステージを披露した彼女達はいつもの様に観客達の笑顔を引率するその先に圧倒的な懸命さが人を惹きつける何とやらと言う事を短い時間の中でも確実に披露しながら観客達に魅せていた。

私的にはスタンディング上手の一番端っこに居た事で近くに居た新規ファンの方達を良く見える前方に導きながらも角度的には前方斜めから観る視界ではありましたが周りに殆んど人が居なかったのでゆったりと楽しめたミニライブでした。

ただ、
2階上手に観客を入れて居なかったその真下に周りから少し離れて一人いた私には、それが会場全体の何処に居ても姿を見られてしまう場所であった事と自分の近くに人がいない分、何か派手な事をしたら一発で目立つであろうと考えられた為に肩から上に腕など上げる事など一切しない、余計な事は全くしない、地蔵の如く手を前後に組んで冷静に会場全体を観ながら楽しむ事をさせて頂きました。

1階スタンディング前方の女性ブロックからスタートしたミニライブ終演後のハイタッチ会はエビ中メンバー全員に笑顔で迎えられる事が確実に待ち構えている期待とその心の余裕が、列ぼうとする者達の中から会話などが一切出る事がない順番を待つ一列をスムーズに作りあげていた流れを見る事で、比べてはいけないが日々繰り返されているスーパーのレジ列びって何なんだろうと言う事とその改善策を模索している自分は一体、何なんだろうと思うその場が、やっぱり解決策はエビ中なのかぁ?

と、全く畑違いな答えを出している中、

気付けば、
ハイタッチが自分の番。


さぁ~、


列ッツ、ゴー !!


zhen
昼下がりの商店街に一台の商用業者トラックが入って来る。

道幅が対して広くはない商店街で業者トラックがゆっくりと遠慮深げに走行するその事で商店街を行き交う人の中には、煙たがる人、足止めを喰らう人、遠回りをする人、イラつく人達などが発生する光景を外野側から見ていると人々の形相たるものは十人十色のお里が知れると言う人間観察が無料で出来る楽しい昼下がりであったりする。

トラック運転手さん側にしてみても通行人に迷惑を掛けてしまう商店街なんか絶対に通りたくはないと思っているだろうし、仕事上の事であって致し方のない事であると考慮すれば、自分の事しか考えない馬鹿歩行者の心の余裕の無さを垣間見る事も出来るエンジョイ昼下がりであったりもする。

自分の行動を予期せぬ形で寸断されるのは誰しも嫌な時があるのは理解は出来ても、自分の行き先をたかが数十秒間足止めされただけで曇った顔をあからさまに運転手さんに見せ付ける事は毎日の業務で慣れっ子の運転手さんの心も大分曇るであろうと無念さえ感じる昼下がり。

大体、昼間に買物する様な人間は時間に余裕がある者であると一般の知識として触れれば、
狭い日本、そんなに急いで何処へゆく。と、トラック運転手さんに邪険な顔をする者達一人ひとりの肩を叩いて問い正してやりたい昼下がり。

ならば、
他の歩行者が円滑に行き来できるように歩行者自身であるお前達が何故自ら動かないと邪険な顔する歩行者に対して逆に不快な顔をして睨み付けてやる行為は楽しさこの上ない私の日常。

運転手さんがトラックを降りて道幅を妨げる邪魔な自転車や店の看板を下げる時間を歩行者達が割けば、世の中の肩苦しさは遥か遠方に飛ぶ。

その行為をどの歩行者達よりも自ら率先して行えば、トラック運転手さんも運転席を離れずにお互いが言葉を交わさなくても笑顔と片手一発の挨拶で物事が気持ち良く過ぎてゆく我が昼下がりは清々しい。

私達消費者庶民の為に頑張ってくれているトラック運転手さんも我々がそう言った想いで行動を起こす事で明日も頑張ろうと少しだけでも思ってくれたらそれでいいんです。

決して自己満足では無い一日一善。

そんな出来事があったなんて数分後には確実に忘れ、既に他の事を考えて歩ける余裕は新しく出来たお店に気付いたり、道に咲く花や緑の美しさに季節を感じたりする地域の変化にも脚を留めれる事に繋がる。

心や時間に余裕がないならば走れ。
心や時間に余裕があるならば歩け。

歩くと言う言葉は前へ進んで行く意味とは別に歩と書いて字の如く、
少し止まる、止まれると言う事。

自分の行き先を車に阻まれ足止めされたとしても周囲の状況と自分に出来る行動や判断、そして心の動きを冷静に行える人達が増えれば、人間交差点と言うものは無事故無違反の人間ゴールドカード免許保有者を沢山存在させられるその事で世の中は円滑に歩める気がする。

そんな事を想う昼下がり過ぎの夕方は、

♪~ 放課後、帰り道
君とはしゃいで歩いた
くだらない事だって大笑いしてたよね

と、鼻歌も出したくなる学生さん達の下校姿を横目に、

♪~ 夏の風、通り道、君と並んで歩いた

と、UBUなままの自分はとっくに何処かへ飛んでいってしまっている中でも少しづつ夏の香りが近づくことを知らせるその夕日が皆さん待ちに待った今年のファミえん2015を回想させるに至る幸せなこの頭。


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今年のファミえんは過去二回の山梨県開催の意向から今回も山梨県の湖近辺であろうと言った多方の予想を見事に覆す新潟県長岡市での開催に、何で? と思った人も多かったでしょう。

開催地が長岡になったまでの詳しい経緯は分からない。
けれど、私達は与えられた道筋を歩まなければ今年の夏も来ない。

だが、問題もある。
関東圏の方はまだ良いかも知れないが、泊まりも考慮にしていた方には近隣に宿泊先が余りにも少ない事で数少ない宿は早くも予約でいっぱい。

仮に越後湯沢、燕三条や新潟市内に宿を移したとしてもその事で更に移動費が嵩む。

ツアーバスがあっても日帰りである為にライブ後の余韻は影を潜め、帰宅後にはバス移動特有の疲労だけが残され、その上にツアー物販購入、行き帰りの移動手段や予算などを入れると若い方への負担はかなり痛手を伴う。

誰かさんが言っていたファミえんに向けてお金を貯めておいて下さいの意味の答えは開催地を聞けば百人が百人とも百点満点を取れる正解がやはりそこに存在していた。

夏のファミリー遠足、略してファミえんは楽しい遠足だけでは無い、違う意味での大変さを抱える人も中には沢山いるでしょう。

だからこそ、逆に歩まなければいけない。
だからこそ、逆に沢山楽しまなければいけない。

BBQに花火にカキ氷に水浸し、
美味しい空気を吸って夕日のロケーションに癒され、自然や緑を沢山芽だて見て、エビ中メンバーみんなとライブを含めた全ての夏を今年もまた思いっきり楽しもう。

商店街を歩く人達とは違う心や時間に余裕を持つ私達の想いが今年のファミえんに向けて歩み始めている日常の中で曇った顔をしてしまうよりも大本番当日の天気が曇らないように今年もあの夏に向かって今のうちから夏の神様に沢山お祈りしておこう。

そう、
あの神田川俊郎先生も言っている。

花に水、
人に愛、
料理は心

と。

最後はちょっと違うけれど、
僕達には、

花に水、
人に愛、
夏はファミえん

と言う言葉があるのだから。


とは言え …… 、


世の中の日常は、

商店街を歩く人達や人の心を料理するのも、これがまた大変なんだなぁ~。



zhen
当たり前だが繁華街は人が多い。

そんな繁華街は、
沢山の人達が行き交う場所なのに狙ったかのようにピンポイントで自分に道を聞いて来る人達は何を基準にして尋ねる人を選ぶのか?

私は、そこが知りたい。

駅の切符売り場は人が多い。

そんな切符売り場は、
沢山の人達が列を成しているのに狙ったかのようにピンポイントで自分に目的地までの行き先経路を聞いて来る外人さん達は何を基準に尋ねる人を選ぶのか?

私は、そこが知りたい。

駅改札口も沢山の人が行き交う。

そんな駅改札口では、
みんなが通る改札前なのにポツンと携帯電話が床に落ちているその様は確実に誰かが先に拾っても間違いない人の多さでありながらも狙ったかのようにピンポイントでタイミング良く自分が拾う事になってしまうのは携帯電話本機に意識があるとするならば何を基準に自分に拾われるよう落とされてゆくのか?

私は、そこが知りたい。

こう言った出来事が同じ日に何度も繰り返し重なり起こるのはいつもの様に慣れっ子な自分だから普段は余り深く考えたりしないけれど自分を他人目線に置き換えた時の事を考えると必ずや物事を尋ねたりしない容姿である自分を自覚している中でその壁を乗り越えて尋ね来るこの人類に対しては、そこは世のため人のため精神を常に身に据えながら義理と人情を胸に街中をひた進む事にしている。

だが、
携帯電話が落ちているのに素通りしてゆく沢山の人達を見るその状況を昭和と平成の世で比べた場合、やはり人に対する優しさや想いやりの精神そのものが緩やかにそして確実に下降している様な気がしてならない現代社会。

大人の世だけで考えてみれば、
人に揉まされ、人に翻弄され、人に騙され、人に関わされのされされ尽くしの日常が継続されていては本来持つべき人としての心の動き方、動かし方さえも忘れてしまうその上に朝の通勤ラッシュから始まる日々の葛藤や周囲の人間同士が絡まり続ける面倒な社会の環境が全く代わり映えしない毎日と言うものが人の心の豊かささえも奪ってゆく事で落とし主が困っている物でも見て見ぬ振りをして通り過ぎてしまう世の中を創ってしまう気がしてならない。

そんな現代社会が創り出してしまった大人達に罪は無いと思いたいが、心が稀薄に成りつつある今の世には何処かでその先の社会や行ないを正す心を取り戻す大人達が増えない限り、未来社会の展望は暗い。

大人になると子供から教わる事が多いと言う大正解の言葉は現代社会の大人達が忘れてしまった心を取り戻す為の救世主が身近に多く存在する事を示唆している。

人の道とは、
繰り返してならぬものは、過失。
笑ってならぬものは、人の失敗。
聞いてならぬものは、人の秘密。
通してならぬものは、我意。
お金で買えぬものは、信用。
忘れてならぬものは、恩義。
捨ててならぬものは、義理。
人にあたえるものは、人情。

人情と言う言葉をあげれば、
優しさとは人が優れていると書く。
情とは心が青いと書く。
青いとは若さや無垢を言う。

現代社会の救世主は、
まだ世の中の事をよく知らない若者達や心が無垢な子達の事であり、若き世代の方が今の大人達よりも遥かに情に厚く、感情に富み、読んで字の如く、情に優れていると言う事。

今の大人達が行う事は良い青さを持つ若者達の方が人に対する想いや優しさを沢山抱えている事を逆に引き立ててしまっている感は否めない。

自分や誰かの為に泣いたり笑ったり喜んだりする人間味溢れる若者達を見て、何でそんな事で悩んだり、泣いたりするの?と言ってしまったり、思ってしまう様な大人や親達は純粋無垢な心をいつしか忘れてしまった為に若者が抱える感情などを厄介事と捉えて生きてしまうならば、その大人達のその後の人生は絶対に変わらない。

家庭内では教わらない、大人が手本となる光景を見れた時代は何処に行ってしまったんだろう。

それでも、
家族や友人、動物などに対する想い、無償の愛や流す涙達の力に嘘が無いその幼い時代を誰もが経て来た人生に自分を思い返せば、一円玉が道端に落ちていても素通りせずに何も恥ずことなく拾い握りしめて交番に届けたぐらい純朴だったあの頃いた昭和の自分を取り戻す事が出来る大人達も沢山いる世の中であると信じたい。

若者達がアイドル達に魅了されるのは素直に喜びを表現でき、感動出来る事、涙する事、同じ想いや成長して行くことに共感出来る事、そして人間味が沢山詰まった宝箱を抱える事が出来るその想いの中に無垢な心がそこにあり、無償の愛が学校の宿題や課題の存在さえ忘れさせてくれる世界が存在する。

その世界を取り戻す道として今や大人達も沢山ライブ会場などに脚を運ぶようになった光景は大人に成り切れない人達では無く、人に対する思いやりや優しさを忘れずに感動の物語を感じる心と無垢な想いを大切にしたい大人達が増えていると僕は思いたい。

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そんな大人達を始め、親子で一緒に応援すべく来場する方達の姿などが微笑ましく映りながら新規のファンも確実に多くなっていたNHKホール前の路上は我が原点のフィールドであり、私立恵比寿中学の春ツアー東京公演初日を迎えていた。

最終公演がまだ終わりを向かえていない中で詳しいライブ内容は何時もの様に書きませんが、セカンドアルバム発売に合わせた春ツアーライブはオープニング曲【 ちちんぷい 】から始まる圧倒的なステージをスタートさせながら、ギロッポンで我々を宙に舞わせる怒涛のセトリとその流れがツアーと言ったら野外ライブ有りきであったエビ中にとって初の全国ホールツアーである事を確認出来るとグループとしてまた一つ成長した姿が私達の想いの中に刻まれてゆく。

今回、私的には特異な場所から拝見出来ただけにツアーメイキング映像を撮るカメラスタッフとのアングル場所に対するお互いの譲り合い精神を炸裂させる中で観るステージはライブとは無縁の微笑ましさを感じ得れた現場であった事に加えて、彼女達一人ひとりの煌びやかさ、表情豊かに歌い踊る姿をいつもの様にしっかりと確認出来た事はツアーと言うものがグループそのものを大きくしてゆく大切なタスクの一部であると感じたほどに楽しく、そして素晴らしい舞台であった事は言うまでもない。

特筆すべきは、
廣田あいか、柏木ひなた、この両二名の素晴らしき姿がそこにあり、私がライブ中に二人を見ていつも感じ想う事を目の前で展開してくれていたその安定の力がいつも以上に実感出来たその場は私にとって私立恵比寿中学と言うグループが得て来た魅せる力の奥底を教えてくれる。

あいか、ひなた、
二人の素晴らしさは歌やダンスは勿論、自分のパートを伸びやかに演じる中でそれ以外は自分の姿を消してしまうほど、決して必要以上に前に出る事は絶対に無く、徹底して裏方に回り、グループ内の縁の下として最大限の力を発揮する。

その姿は市販のライブ映像ソフトでも確認出来るほど素晴らしく、メンバー誰一人欠けてはいけないチームとしての自己アピールはあれど、そのサポート力たるや、グループ内でのプロとして、アーティストとしての能力を唸らせほど感じさせるパワーは圧倒では無く、圧巻に近いその存在力が身近で観ていた自分にとっては輝きの中から発せられる魅せるオーラと言うものに改めて胸に杭打たれた素晴らしきライブであった。

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今回のツアーライブでメンバー達や若きファミリー達を見て感じた事は今の大人達に感じて貰いたい事、そして誰かに喜んでもらう事、微笑んでもらう事、サポートする力、夢や未来、将来の希望を与え続けられる事、その心の赴きを良い方向に傾けられる現代社会の大人達が沢山増えれば携帯電話も自分以外の誰かが拾う世の中に繋がると思う。

人としての優しさや想いやりにプロはいない。
人としての優しさや想いやりに能力は関係ない。
人に与えられる無償の愛は考えてする事ではない。
人の道に落とす物は携帯電話では無い。
人の道に落とすものは誰かがその道を歩み外さない為に心の地図を置いてゆく所。

その事を大事に想う人の前に神様は携帯電話を落としたり、道を尋ねられる人物を決めているとするならば、心が純粋であり、優しさや情が自然と溢れ出ている人間には人々にも何かを分け与える事が出来る力が存在している事で頭や心を永遠に中学生でいさせてくれているのかも知れない。

色々な想いを沢山抱えている若者達を今は理解出来ない時期にいる今の大人達や親達が自分の将来やこの世界の未来が心配であるならば、


おまえを中学生にしてやろうか~!

と、
常々思っておる私ではありますが、そんな私も本当は……、

そんな自分の


私は、底が知りたい。


zhen