久しぶりに少し長いお話になりますが、お付き合いを。
先日の夜、19時半過ぎの事。
約束の時間に間に合う様に歩いていた私なのに何故か普段は見向きもしない細い脇道に入り込んでしまった。
いつもだったら絶対に通らない道。
そんな細道の先に老夫婦が道を塞ぐ様にして立ち話をしていた。
そして、避けて通ろうかと思ったら申し訳なさそうに声を掛けられた。
「 あの~、この辺にお住まいの方ですか? 」
「 この辺と言えば、この辺ですが、どうなされました? 」
聞けば、近々この近辺に移転して来る介護施設の場所を事前に把握しておきたくて探していたが、結果的に分からなくなってしまったとの事。
御主人が持っていたプリント用紙には一応、会社名と住所、電話番号は記載されていたが、いかんせん訪ねられた場所から見ても私自身全く分からない。
でも “ すいません、私にも分かりません ” と、このまま老夫婦を見捨てる訳には絶対にいかなくなって来た、わたくし。
私は自分の携帯を取り出してプリント用紙に三つ記載されていた電話番号に掛けてみたけれど、時間帯のせいもあってか初めの二つは留守電、三つめの電話番号でようやく繋がったが、先方に怪しい人物に思われたので御主人に電話をチェンジ。
そんな中、気付けばそのやり取りを聞いてか、近くの住人のおばちゃん達まで家から出て来て、段々と大事に発展しそうな勢い。
でも、親切なおばちゃん達も住所は何となく分かってもこれから移転して来る介護施設なんて皆んな知らないから、会社名を言った所で分かる訳がない。
結果、御主人が先方との電話の中で目的場所の目安となる建物の位置を聞き、何とかなりそうな感じでホッとする。
そして、ご夫婦と世間話や先方の電話対応、プリント用紙に地図を入れるなどの配慮の無さを話ながら何とか目的地のビルを発見。
私自身、本当に最後の目的地に辿り着くまでは見届けなれば納得が行かないと言う事もあったが、その目的地である建物の様相は絶対にお年寄りには発見しにくい所で、見つかる最後までお供してやっぱり良かったと思う。
ご夫婦は 「 御親切にありがとうございます 」 と深々と私に何度も御礼を言われていたが、実際の私は約束の時間に大遅刻。
でも、そんな事はどうでもいい。
親切な事をしたとも思わない、当たり前の事をしただけ。
それでいいじゃないか。
結果を見ずにあのまま別れていたら罪悪感と共に気分的に気持ち悪く、スッキリする訳がない。
渡りに舟、一期一会。
それでいいじゃないか。
きっと、ご夫婦があの脇道に私を導いたのかも知れない。
それでいいじゃないか。
困った時はお互い様、困っている人が居たら助ける、とってもシンプルな事。
それでいいじゃないか。
長い人生の中で理由はあれど、たかが遅刻で文句を言う様な心が豊かでない人は、僕の周りには要らない。
もしかしたら、僕の中では
【 東京もまだ捨てたもんじゃない 】
と言う所を誰かに見せたかったのかも知れない。
いや、違うな。
そう、
【 人が人に優しくなければ、生きている資格は無い 】
つまり、
そう言う事なのだ。
この話、
本当の東京人のイメージを悪くしている、東京人ぶっている地方出身者に捧げる。
zhen


