杜松文人
 あわよくば銘風展に出せないかなと思っているこの杜松。

 来月の25日前後に切り込んで、一芽吹かして年を越す計画です。

 もし、銘風展に出すのなら11月に写真撮影があるので、日程に合わせて枝先の調整とジン、シャリの化粧直しと進めることになります。

本当は、もう一年作れば納得のいく仕上がりになると思うのですが…。もう、2年も出してないしなあ。


さて、例によって今日も犬山城の遺構をどうぞ!


西谷門跡より西谷へ
西谷門跡です。昨日、紹介した西御殿から坂を下ると西谷へ到ります。

西谷は馬場や資材蔵、侍長屋などがあったところです。


西谷より天守を望む
西谷へ坂を下りて右手を見上げると、このように天守が見えてきます。

馬場があった辺りからの写真です。


西谷石垣
西谷から城山の西の備えでしょうか。野面積みのやや古い石垣が見られます。


巽櫓石垣
巽櫓跡の石垣です。現在は、針綱神社鳥居の前の坂を降り切り、橋の手前左側を見上げる位置にあります。旧松の丸の東側に辺ります。(針綱神社境内の駐車場の東南隅で櫓を取り壊した後に神社の建物が建てられています)

ほな、また…。

 「常盤しのぶ」は、1年中青葉をつけているので、冬場の盆栽展には下草として大変に重宝します。

 そんな事情もあり、オイラも1鉢作っていますが今日、見回っていると「常盤しのぶ」のはずが、「枯葉しのぶ」になりかかっているのに気がつきました。

 こりゃあ枯れかかっているのかなと思って見てみると、猛暑に対応するため水分が少なくても生き残れるよう自ら葉を落としていることに気づきました。

 それでも見苦しいので枯れた葉は取り去って掃除してやりました。


常盤dk2@
こんな具合。大文字草が飛び込んできました。

 今日も盆栽棚下の気温は41℃を記録しました。暑いはずやわなあ!


さて、今日の犬山城の遺構は…


針綱神社
 尾張5社のひとつ、針綱神社です。

 延喜式神明帳にも記載のある由緒ある神社です。もともと、この神社は昔、白山神社と言い、この城山にあったのを織田信康が犬山城(三光寺城)を築いた折に犬山の東、白山平というところに遷座し、明治になって再び現在地に移されました。

 関ヶ原以降、明治までこの位置は「松の丸」で御殿のあったところです。小牧長久手の戦いでは豊臣秀吉が入城し、この御殿を宿舎にしたそうです。


中御門入り口の橋

この橋の右は西御殿のあったところで左へ橋を渡ると中御門があり、本丸に通じる王手道に通じておりました。


井戸櫓跡石垣
これは井戸櫓の石垣です。木曽川に面しています。



薬研堀
 薬研堀跡です。現在は名鉄犬山ホテルの構内にあり、単なる古池にしか見えませんが、写真の左奥に外堀が続いておりました。

 なお、犬山城の東麓を流れる川は、明治の治水事業で掘削したもので堀ではなく、川の位置は東谷と言って城内でした。


今日は、これまでにしときまっさ!

ほな、また…。



猛暑
 写真の寒暖計なんと43.5℃を示しています。今日の15時頃の気温です。

 この寒暖計は、盆栽管理の参考にしようと7年前に取り付けたもので、盆栽棚の横に直射日光を避けてぶら下げられています。

 この条件で40℃超えとは…(汗)!

 さすがに今日は水遣りが精いっぱいで屋外での作業はできませんでした。

 この分では明日も40℃超えかも。

 冷房設備のある作業室がほしいなあ。 ムリか?(嘆)


さて、今日も犬山城の遺構を少々…


犬山城直下の創設期取水口
 この写真は今年の春のものですが丁度、正面中央辺りが井戸櫓跡で、右の直線的な石垣部分辺りは、西谷と言って、小牧長久手の戦いの折、池田恒興が木曽川を渡って、ここに上陸し攻めてきたところです。


未申櫓石垣の名残
これは、坤櫓跡に残る石垣の一部です。現在の三光稲荷神社の前辺りにあります。


三光稲荷神社

これが三光稲荷神社で、もとは三光寺山にあったものを昭和38年に市立体育館建設に伴い、犬山城松の丸跡に移築されています。


水の手門跡
水の手門跡で石垣の一部が残されています。天守裏側木曽川端にあります。


 今日はここまで。 ほな、また…。