


トラックで処分場に向かいながら、「逃げた業者とはどこで知り合ったんですか」とか「家賃はもらったんですか」などと質問をしましたが、「土地はいずれ小屋でも建てて住もうと考えていた。勝山の出身なので、白山に近いところと思って購入した。草刈りをしていたら、軽四貨物車で通りがかり、土地を貸してくれないかと言われ、人当たりもよく、景気のいい話をして、友人として政治家など社会的地位の高い人たちの名前を出されて信用してしまった。不動産屋を通さず、その場で口約束をして、メモ紙に家賃と住所・氏名・携帯電話などを書いてもらった。振込先として、銀行口座を教えたが一度も振り込まれていない。遠くに住んでいたので、どういう風に使われているのか確認できなかった。いまは携帯電話の番号も使われていない。連絡が取れず、警察に住居を調べてもらったが、引っ越したあとで、まるっきり別人が住んでいた」などとひと通りの話を聞いて、「とにかく早く片付けて、売りに出したい」という希望であって、「二日もあれば片づきますよ」と答えて、どんどん捨てて行き、空地に戻したら、「軽率な行為で失敗したが、地獄に仏」と喜んでもらえました。
その後、3年に一度くらい訪ねてきて、2度ほど土産物をもらったことがありましたが、5年ほど前に膝と腰を手術して、歩きにくくなったそうで、月に一度か二度、携帯電話に連絡があり、「ぜひ一度遊びにきてくれ」と言われながら、何となく足が向かず、「そのうちに」と答えつづけて、数年が経過し、電話の頻度が増してきたこともあり、「それでは10月に伺います。前日に電話しますので、一泊させてください」と約束をして、ついに長年の懸案が果たされることになりました。
駅に着くと、ベンチに腰かけて待っていてくれて、あいさつをすると多少は喜んでもらえたようで、「あんたは変わらんなあ」と何度も言われ、松葉杖をついてゆっくりと歩き出し、路線バスの乗場に向かいました。
室内では車椅子で生活されているようで、作ってくれた夕食をともにしながら、いろいろな話をして、奥さんが亡くなったあとはあまり話をすることもないようで、朝日大学の病院の話、団地内で人づき合いの話、障害者のための通訳の講座に通った話などを聞かされて、10時過ぎには床につき、翌朝、バスに乗って駅まで送ってくれましたが、10年経過すると互いに年齢を重ねた分、あきらかに体力は衰えていて、いまは廃棄物処理の法律も厳しくなり、かつてのような格安での処分などはまったくできなくなっていて、さらには資源価格も下がり、廃品回収で生計を立てている人たちも楽ではないようであって、借りていた土地に金にならないゴミを放置して、家賃も払わず、ほくそ笑んでいるとしても、金目のものだけ換金して、ゴミに関しては処分代も踏み倒して大きな喜びに包まれたとしても、現在、裕福に暮らしているとはとても考えられず、やはり、人生は、つましくても、まっとうにやって行くのが、こころの健康のためにも最適だと思われます。