


焼津駅に降り立つと、カジキマグロの像が出迎えてくれましたが、近づいて行くと、足湯になっているものの、交通量や人通りは少ないとはいえ、囲いもない上に、噴水か人工池のようなところで、靴を脱いで、まったりつかるわけにも行かず、写真を撮るだけにして、港に向かって歩を進めました。
焼津の漁業は、江戸時代から盛んになったそうで、駿府城に隠居した徳川家康にカツオやアマダイを献上した記録も残っていて、カツオが豊漁のため、カツオの保存法としての鰹節づくりも始まり、明治時代には、土佐の鰹節生産量を上回るまでになったそうで、明治に入り、カツオ船の帆船化が進み、下田沖まで出漁するようになって、マグロの延縄漁も始まり、大正時代になると、船の大型化、動力化が進み、さらに沖合いへ新たな漁場が広がり、昭和時代になると、マグロの冷凍品や缶詰などが輸出されるようになり、船はさらに大型化し、冷凍技術も進み、マグロ漁船が南洋にまで進出、焼津港周辺には加工工場や缶詰工場が立ち並び、日本を代表する遠洋漁業の拠点となったものの、第二次世界大戦で漁船が軍に徴用され、焼津港の漁業は壊滅的な打撃を受けましたが、戦後、遠洋漁業の禁止が解かれると、焼津からインド洋や太平洋に出掛けて行き、再び「マグロ水揚げ日本一」の港としての活況を取り戻したようです。
焼津港沿いに歩き、市役所から小泉八雲が滞在した家の跡がある八雲通りを抜けて、日本武尊を祀る焼津神社に参拝しようと考えていたのですが、港に着いた時から雲行きがあやしく、黒い雲が近づいてきていることには気づいてはいたものの、思いのほか雨の降り出しが早く、ずぶ濡れになりながら予定を短縮して駅に向かうことにして、その途中に日本武尊の銅像がある小さな公園があり、古事記の日本武尊の野火の難にちなむ「焼津」の地らしいと思われ、歩を止めて、近づいて見ることにしました。
草薙の剣を振るい草をなぎ倒し、野火に対して迎え火を放って難を逃れた日本武尊の東征伝承ですが、諸説はいろいろとあるようでも、稲作文化を広めながら、国としての統一を図るためには、共同体にとって真実と信じるに足る伝承が必要であったとも考えられ、古くからの伝承には、もうそれだけで歴史が形づくられていて、静岡という交通の要衝にあるのにも、納得できるような気もしてきました。