あの頃、いつも胸の奥に、微かな

ざわつきがあった。夫がまた病を得

るのではないか、何かが起きるので

はないかという、不吉な予感と不安


それまで何度も倒れていたが

何時もそれは突然おきていて

予兆を感じたことはなかった

なのにあの頃は、毎日不安に胸が

潰れそうになりながら生活していた


また、うさぎのモコの様子も

気がかりだった

元気にしているようで、そうでも

ないような、微かな違和感があり

落ち着かない日々を、送っていた


ある日、うずくまるモコの足元に

大きな血溜まりが出来ていた

すぐに病院へ連れていったが

残された時間は、僅かしかなかった


モコは、幼い頃に斜頸になり

身体を撫でると、神経に障るようで

おでこをそっと撫でることしか

できなかった

だから避妊手術をしようとも

思わなかったのだ


あの日、静かにうずくまるモコを

そっと撫でている時、突然

「モコは自分の生命を、お父さんに

与えようとしている。お父さんの病

を引き受けて、天界に持っていこう

としている。」 という言葉が浮かん

だ。ハッとして、モコの方を見ると

真っ直ぐ私の目を見つめ、分かって

くれる人で良かったと伝えてきた


今日か、もって明日の朝には

モコは、虹の橋を渡るだろう

だから、もう覚悟をしなくては

ならない。モコが決めた事だから

私はただ静かに見送るしか

できないのだ


私と子供は、よく大声で喧嘩をして

いたが、夫はいつも、静かにモコに

声をかけ、そっとおでこを撫でる


私が近づくと、身を固くして目を伏

せる。けれど夫が近づくと、嬉しそ

うに小屋の中を動き回る


モコは、夫の車の音が聞こえると

まるで犬のように、ソワソワし始

める。夫が部屋に入ってくると

身体中で歓びを表していた


家族で過ごす、最後の夜がきた

子供には、大丈夫だからと伝え

夫には、多分もって明日の朝迄だと

思う。夜中急変したら、すぐ呼びに

行くからと伝えた


私はケージの前で、ずっとモコを見

ていた。モコはもう何も伝えてはこ

なかった。明日の朝、モコは虹の橋

を渡る、そう私の直感が教えてきた


朝、夫と息子を見送り、30分程経ち

家事をしていると、モコのいる部屋

から、バターンと大きな音が聞こえ

た。慌ててモコの元へ行くと、大量

の血溜まりの中に倒れていた


モコモコと、何度も声をかけたが

何の反応もなく、ただ見守ること

しかできなかった


最後の時がきた

動かなくなったモコを見つめていると

モコの中から、本当のモコが

淡い黄金色に輝く美しいモコが

身体からスッと抜けだし

そのままケージから床に飛び降りた


モコ!?思わず声をかけると

びっくりした様子で、こちらを見て

すぐドアを通り抜け、2階へと駆け

上がっていった


斜頸のせいで、真っ直ぐ歩けなかっ

たから、いつも部屋で散歩をさせて

いた。他の部屋に行きたがる時は

つきっきりで遊ばせた。けれど2階

はいったことがなかった


残された私は、モコの亡骸を抱きし

めて、光のモコを見ていた

モコは自由の歓びに輝いていた


淡く美しい黄金色の光を、辺りに

放ちながら、目をキラキラさせて

スキップするように、跳ね回り

ながら家中を探険していた


今迄は、近づくだけで怒られていた

のに、何も言わない私を、不思議そ

うな顔で見ながら、走り回っていた


ひと通り探険して、満足したのか

いつものように、私の足に鼻先を

押し当てようとしてきた。ツンツン

したいのに、スッと通り抜けてしま

う。あれ?というように首を傾けて

私を見上げるモコに、ツンツンでき

ないねぇと、そっと話しかけてみた


腕の中の、かつてモコだったものが

だんだん、冷たく硬くなっていく


私が愛した、うさぎの姿をした小さ

な娘が、ただの肉塊になっていく


温めても無駄なのに、撫でさすった

り、抱き締めては、話しかけてみる


その私の足元で、光のモコは

やっと手に入れた自由に

夢中になって遊び続けている


悲しいやら、嬉しいやらで

何がなんだか解らなくなり

泣きながら、笑い続けていた


また2階に行くのを見てから

ケージを片付け、モコの身体を清め

毛布の上にそっと横たえた


夫に電話をし、モコに供えるお花を

買ってきて欲しいと頼んだ

今日はもう何もしたくはなかった


部屋に戻ってきたモコは、かつての

自分に鼻先を寄せ、これなあに?と

でも、言いたげにして私を見上げた


しばらくぼんやりと、モコの亡骸と

光のモコを、交互に眺め続けていた


どれくらいの時間、そうしていただ

ろうか。いつの間にか、モコの姿は

見えなくなり、気配だけが、部屋の

中に漂っていた


硬く、冷たくなったモコを、何度も

何度も抱き締める。その私を、光と

なったモコが、静かに見つめていた


今思い出しても、不思議で、儚い夢

のような時間だった。いや、私こそ

が、モコの見ている夢なのかもしれ

ない。私はモコが見る夢の中に現れ

た、儚い夢でしかないのだろう


夫と息子が戻り、3人揃うと、

モコは嬉しそうに、私達の周りを

くるくる回り始めた

今そこにいるよ

今あっちにいったよ

そう言いながら、皆んなで

光のモコと遊んだ


息子が、携帯のカメラを向けると

不思議なことに、ちゃんとモコに

焦点があう。だからずっとカメラ

越しにモコを探し、家族全員で

かくれんぼをして遊んだ


目の前にいるのに、あさっての方

を見て、モコと呼ぶ姿に

不思議そうに皆んなを見ていた


なんで撫でて貰えないのかと

不満そうな顔をしているモコを見て

私はずっと笑っていた

悲しいやらおかしいやら

賑やかな夜だった


夜になるとモコは、眠る夫の顔の横

にうずくまり、静かに夫の顔を見て

いた。たまに私を見ては、また夫の

顔を見つめる


モコが光になって、1週間経つ頃

には、気配がしなくなっていた

もう導きの天使様と、虹の橋を

渡ったのだろう。そう考えていると

胸の奥に、モコの声が響いてきた


次の仔が待っているから、迎えに

いって。次は健康な仔だから、楽し

い時間を過ごして と


夫と息子に話し、半信半疑ながらも

モコのいた店に向かった


薄い赤毛のネザーの仔が、こちらを

見て、ピョンピョン跳ね回っている


子供が、「お母さん、あの仔だよ」

と、泣きながら私に言う。本当に

いた。モコのいったとおりだった


この仔は耳が長いから、名前はミミ

にすると、子供が決めた

モコが言った通り、元気いっぱいで

懐っこく、健康な仔だった


穏やかに月日は流れ、ミミが家族に

なってから、4年がたっていった