スポーツチームのファンやサポーターにとって忘れられないシーズンがあるように…
(ガンバサポであれば、05年や08年のシーズンか。)

「高柳明音を主人公とする物語」の傍観者である私としては、2011年がそれにあたる。そう感じている。


きっと数年後、
SKE熱が落ち着いた頃、ふと思い出すのは この年のことだろう…





(2011年の彼女についての詳細な説明は省きます。
それこそブブカ最新号の『裏ブレイクヒストリー』を読んでもらうとして…)



彼女たちが『愛の数』を貰ったときはこちらも盛り上がった。「良い曲を貰えた」と。

しかし暫くして、
当時のKⅡを見つめる疑心暗鬼の日々の中、私に芽生えた妄想…

「これでオリジナル公演については‘‘手打ち”にされるのではないか」と…

グループ間のバランスを取るため、後発グループであるNMB48のトップチーム(チームN)が先にオリジナル公演をやるんじゃないか…
(ピタゴラスと比べて、バックアップもヨシモトと強力…「喧嘩したなら負ける」と。)

もう支店のセカンドチームはオリジナルセトリを貰えないんじゃないか…

「『愛の数』という‘‘宝”を貰えたんだから、現行の『手つな』セトリに、これを加えてくれるのなら、それで我慢するしかないのか」と…


明音さん他KⅡ選抜メンバーのアメブロコメント欄上では、「新公演が手に入るまで一緒に頑張ろう」とか鼓舞するようなコメントを残しておきながら…また、自らのブログを「KⅡ応援ブログ」と銘打っておきながら、
実際の私は、最早、ネガに支配されていたのかもしれません。




…そこで迎えたあの日の‘‘直訴”である。




その時を、私は職場で迎えた。
残務処理のさなか、空き時間に見た実況掲示板…
高柳が選抜を逃した事実に唇を噛み締めたその後…

映像も音声も無い、ただ彼女が行ったその行為を伝える文字の列を追うだけで、思わず目が潤んだ。


そこから、3rdオリジナル公演への結実をみた今、
私の中のネガティブな妄想との対比は、その行為の意義深さをより際立たせてみせる。
明音さんのあの行為が無かったなら、
その後KⅡはどのような道を歩んでいたのだろう?

(私の妄想もあながち間違いでなかったかもしれませんよ。←コイツ、まだ言うてる)


そこからの数ヶ月…
明音さん個人での『抱きしめちゃいけない』MVの秀逸さに湧き、そしてチームKⅡとしては『ラムネ』初日を迎え、そこからリクアワでの『お待たせ』へと続いていく…



2011年の高柳明音、チームKⅡ…
それは、アイドル界の片隅にあるプロレタリアートの記憶。










…なんつってw

以上。

◆関連記事
・『「非情の山」の頂に、「KⅡ」の旗を打ち立てろ!』(2011.5.27)

・『明音さんへの(届かぬ)手紙 ~総選挙を終えて』(2011.6.10)
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「SKE48」「K2」「ちゅり」「2月、まつりなの涙」「…その年の後半に起きたネガティブな出来事については語るまい。暗黙の了解(笑)」「『オキドキ』選抜やあれこれ込みで…まあドラマチックでしたね」