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※以下、まとまりなきモノをダラダラと
記しただけとご理解下さい…
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先週のダム遠征道中、車内…
(※我が家の息子達の誇るべきところは、「カーナビ」「テレビ」「DVD」無しの車内で文句も言わず、父の流す音楽と車窓の風景を楽しめるところだ。しかし片道2時間の道中だと、さすがに幼児である次男は若干ぐずり気味である。)
CDチェンジャーは曽我部の新譜から『相対性理論』(の3rd)に変わったところだ。
「これって昔のだよね?」と、後部座席の妻が反応する。(※次男の退屈凌ぎもひと段落したようだ。)
ハンドルを握る私は「うん、そう」と返す。
そして、そのキャッチーな音階と、それに乗っかる やくしまるえつこ の歌声に誘発されるが如く、私は妻に問う…
「そもそも音楽のジャンルにおける『アイドル(ポップス)』と(俗に言う)“普通”の『ポップス』の違いってなんやろ?
ただ歌っているのが『アイドル』か『それ以外』の違いでしかないよな…」と。
更に続ける…
「大塚愛の『さくらんぼ』は『アイドルポップス』か?…『ビジュアル系』かて、音は大概並みの『ビートロック』やん。」
少しの沈黙のあと、妻が口を開く。
「ウ~ン…“音痴”なのが『アイドル』じゃないの?(笑)』と。
「…ディスるねぇ~w」と、私は笑う。
妻が言わんとしているところ、それは巷で言われるアイドルの魅力の一つである“ほつれ”の部分であろう。
その魅力の内側にいる人間にしてみれば、歌唱力による説得力など必要としないし、またそれを求めてもいない…
「なるほど。その“音痴”を許せるジャンルが『アイドル』であると(笑)」
蛇行する川沿いの国道…
それにハンドルを合わせつつ…考える…
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時に私は、アイドルとそのファンの関係性に、漠然とした宗教性を感じる時がある。
(よくアイドルファンが使う「神」との形容。これは彼女達を宗教的「偶像」と捉えたことによる畏敬のあらわれ……では無いと思いますが(笑))
また同時に、アイドルを「仮想恋愛対象」とするニーズが依然として存在するものとも考える。
対象(者)に対する「想い」…
「信仰」と「恋」…
それは異なるもの…
ファンは彼女達を“絶対的なもの”と奉りながら、その“ほころび”や“ほつれ”を許容し、愛でる…
はたして、「ほつれ」すらも信仰の糧となりうるのか…?
はたまたそれは「信仰」の外にあり、単に「恋心」や「情」に起因するものなのか…?
これはアイドルファンによる対象【アイドル】への「想い」の置き所が異質であり、それが「信仰」と「恋」の狭間にあるものとは言えないか…
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意識は車中の身体に戻る…
…その後、妻との会話は『チャットモンチー』に『安室奈美恵』から『SPEED』や『Perfume』のアクターズ系に飛び、その後も着地点無きその会話は話題の空間を彷徨い続け、やがてアイドルポップスの話などどこかへ置き忘れられていた。
そう、所詮車内の会話など場繋ぎ的なものである。
「ガチ恋」ヲタであれ、その想いの伝え方が“お布施”の額というところに宗教的なモノを感じているだけ…かも? wからの投稿