1992.4.X…

その日のスポーツ紙の一面は、トウカイテイオーとメジロマックイーンの「世紀の対決」を煽る記事が踊っていた。



「皇帝の仔」「天才」テイオーに比べると、どことなく泥臭い印象のマックイーン。


メジロ陣営の推すライアンの影で牙を研ぎ(※馬なので牙はありませんが…)、やがて花開いた彼の魅力に、当時は気付くことができなかった。


私はテイオーを支持していた。

春の天皇賞当日の朝、

そこで私は、思いもよらない記事を目にする。



『尾崎豊 急死』

言葉を失った。

世に言う「尾崎信者」であった私は、しばらくの間、現実を受け入れることができなかった。

その日、10時からコンサートツアー・大阪城ホールのチケット予約が開始されることになっていた。
私は、チケットぴあ「特電」に電話をかけ続けた。

しかし、



一時間かけ続けても繋がらない。

同様のファンが殺到したのであろうか。



私は電話をあきらめた。


その後、私はどのように過ごしたのでだろうか。


レースを見た記憶は無い。

気付いた時には、テイオーはマックイーンの前に破れ去っていた。



その日の午後、「不敗神話」は終わりを告げていた。














2011.11.X…

高柳明音の口にする「全力」


劇場で


握手会で


ブログで


そこに感じる「疾走感」は、時に「生き急ぐ『彼』」に感じていた「危うさ」を蘇らせる。



性別も、ジャンルも、志向も違う二人。


明音に「10代の『尾崎』」を重ねて見てしまう自分がいる。

(それは二人が似ているというより、私の中での二人の置き所が、近い所にあるからかもしれない。)



(数少ない)二人の共通点、「11月29日」


奇しくもこの日に生をうけた二人





「私、『イイニクの日』に生まれた鳥でございます//」


今年で二十歳の節目を迎える明音。

11月12日に10代最後の公演を終えた彼女は、ブログにて、そこでの『クロス』の出来映えに対する不満を口にした。

そして、


「『リクエストアワー』の場で、10代最後の『クロス』を納得のいく形で披露するチャンスを与えて欲しい」と訴えかけた。





















1985.11.28…

『彼』は、「10代最後の日」となるその日、
3rdアルバム『壊れた扉から』をリリースした。

のちに言われる「10代3部作」の最後を飾る本作は、代表曲を多く含む、前2作と比べ、比較的地味な印象を与えがちである。

しかし、強行スケジュールの中 録音され、「一発録り」を数曲含むこのアルバムから漂う「疾走感」は、当時の彼自身を切り取った「記録」としても意味のあるものと感じる。

(私にとって本作が、尾崎アルバムのフェイバリットである。)


『壊れた扉から』は、『彼』が「10代最後の日」に打ち立てた金字塔なのだ。




















2011.11.26~ …

10代最後のパフォーマンス


「リクエストアワー」


そこでの彼女は、納得のパフォーマンスを披露し、今後に向けたポジティブな道筋を示すことができるのか。


そしてフェスタの翌日、

「10代最後の日」に何を思うのだろう。




















1992.11.29…

この年から国際G1競争となった「ジャパンカップ」。

海外からの遠征組も「史上最強」と言われたこのレース。

故障期間を挟んで、連敗中のトウカイテイオーは自己最低人気となる5番人気。


「終わった馬」との評価であった。



この日の朝、京都競馬場に向かう父が、私にJC出走馬の中から一頭を選べと言う。
私の選んだ馬の投票券を購入するとのこと。
馬券購入が許されない高校生の私に対する優しさからであろう。

私は迷わずテイオーを選んだ。



午後3時、私はテレビの前に張り付いた。




この時の私はまだ知らない



やがて数十分後に訪れる「歓喜」の瞬間を。


外国馬を競り落とし、ゴール板を通過する彼の姿を。


父シンボリルドルフ以来の日本馬勝利の瞬間を。




そして、




















この日、1歳の誕生日を迎えた一人の少女の存在など、



知るよしもなかった。。





※参考:1992.4月当時のスポーツ紙
ダムとガンバとKⅡと・・・-11-11-20_001.jpg

ダムとガンバとKⅡと・・・-11-11-20_002.jpg