その日のスポーツ紙の一面は、トウカイテイオーとメジロマックイーンの「世紀の対決」を煽る記事が踊っていた。
「皇帝の仔」「天才」テイオーに比べると、どことなく泥臭い印象のマックイーン。
メジロ陣営の推すライアンの影で牙を研ぎ(※馬なので牙はありませんが…)、やがて花開いた彼の魅力に、当時は気付くことができなかった。
私はテイオーを支持していた。
春の天皇賞当日の朝、
そこで私は、思いもよらない記事を目にする。
『尾崎豊 急死』
言葉を失った。
世に言う「尾崎信者」であった私は、しばらくの間、現実を受け入れることができなかった。その日、10時からコンサートツアー・大阪城ホールのチケット予約が開始されることになっていた。
私は、チケットぴあ「特電」に電話をかけ続けた。
しかし、
一時間かけ続けても繋がらない。
同様のファンが殺到したのであろうか。
私は電話をあきらめた。
その後、私はどのように過ごしたのでだろうか。
レースを見た記憶は無い。
気付いた時には、テイオーはマックイーンの前に破れ去っていた。
その日の午後、「不敗神話」は終わりを告げていた。
2011.11.X…
高柳明音の口にする「全力」
劇場で
握手会で
ブログで
そこに感じる「疾走感」は、時に「生き急ぐ『彼』」に感じていた「危うさ」を蘇らせる。
性別も、ジャンルも、志向も違う二人。
明音に「10代の『尾崎』」を重ねて見てしまう自分がいる。
(それは二人が似ているというより、私の中での二人の置き所が、近い所にあるからかもしれない。)
(数少ない)二人の共通点、「11月29日」
奇しくもこの日に生をうけた二人
「私、『イイニクの日』に生まれた鳥でございます//」
今年で二十歳の節目を迎える明音。
11月12日に10代最後の公演を終えた彼女は、ブログにて、そこでの『クロス』の出来映えに対する不満を口にした。そして、
「『リクエストアワー』の場で、10代最後の『クロス』を納得のいく形で披露するチャンスを与えて欲しい」と訴えかけた。
1985.11.28…
『彼』は、「10代最後の日」となるその日、
3rdアルバム『壊れた扉から』をリリースした。
のちに言われる「10代3部作」の最後を飾る本作は、代表曲を多く含む、前2作と比べ、比較的地味な印象を与えがちである。
しかし、強行スケジュールの中 録音され、「一発録り」を数曲含むこのアルバムから漂う「疾走感」は、当時の彼自身を切り取った「記録」としても意味のあるものと感じる。
(私にとって本作が、尾崎アルバムのフェイバリットである。)
『壊れた扉から』は、『彼』が「10代最後の日」に打ち立てた金字塔なのだ。
2011.11.26~ …
10代最後のパフォーマンス
「リクエストアワー」
そこでの彼女は、納得のパフォーマンスを披露し、今後に向けたポジティブな道筋を示すことができるのか。
そしてフェスタの翌日、
「10代最後の日」に何を思うのだろう。
1992.11.29…
この年から国際G1競争となった「ジャパンカップ」。
海外からの遠征組も「史上最強」と言われたこのレース。
故障期間を挟んで、連敗中のトウカイテイオーは自己最低人気となる5番人気。
「終わった馬」との評価であった。
この日の朝、京都競馬場に向かう父が、私にJC出走馬の中から一頭を選べと言う。
私の選んだ馬の投票券を購入するとのこと。
馬券購入が許されない高校生の私に対する優しさからであろう。
私は迷わずテイオーを選んだ。
午後3時、私はテレビの前に張り付いた。
この時の私はまだ知らない
やがて数十分後に訪れる「歓喜」の瞬間を。
外国馬を競り落とし、ゴール板を通過する彼の姿を。
父シンボリルドルフ以来の日本馬勝利の瞬間を。
そして、
この日、1歳の誕生日を迎えた一人の少女の存在など、
知るよしもなかった。。
※参考:1992.4月当時のスポーツ紙

