毎年「名古屋=アウェイ」と感じる日がある・・・




2010.8月下旬、私は瑞穂競技場のアウェイ席にいた。この日名古屋に乗り込んだ我がガンバ大阪は、名古屋グランパスとの一戦を迎えていた。ここ数年リーグ戦で相性の悪いグランパス相手に精彩を欠くガンバは、3対1とリードを許しゲームも終盤に差し掛かっていた。




 (このシーズン、ガンバは2位でリーグを終える。しかしこの順位にふさわしいサッカーが出来ていたかと言えば疑問が残る。ガンバの魅力の一つである中盤を中心にチーム全体が連動した攻撃はなりをひそめ、遠藤、宇佐美、佐々木等の個人の力に頼った(時に単発的ともいえる)攻撃がパターン化されたことに、私は不満があった。特に遠藤・二川のW司令塔の機能不全が残念でならなかった。


 因みにこのシーズンの優勝チームは名古屋グランパス。この日の相手である。


結果的にグランパスとの直接対決「2敗」が、勝点上両者の順位の差となって表れた。上位チ-ムとの直接対決の重要性が良くわかる結果だ。)





 私は憂鬱と歯痒さの中にあった。拡声器から発せられるコールリーダーの声も、この時間の私には虚しく響いた。送り続けるチャントも惰性の産物でしかなかった。


 そして試合終了を告げる笛が鳴った。その刹那湧き上がる歓声とグランパスサポーターによる凱歌が響き、私の心情と全く逆の感情にスタジアムは支配された。


 先程まで共にチャントを送ったガンバサポーターは帰り支度を始めていた。その多くはバスや新幹線で大阪へと帰るのであろうが、私を含む少数は「赤と橙」の人の群れの中、地下鉄名城線の乗り場を目指さなければならなかった。私は強烈な疎外感の中、帰路に就いた。




 十数年住み慣れた愛着ある町・・・ しかし生まれた土地やルーツにアイデンティティを持ち続ける限り、その時その瞬間、町は「アウェイ」の表情を見せる。「瑞穂」「豊田スタジアム」そして「ナゴヤドーム」・・・そこでの私は永遠に「ビジター」であり、自らの意思でそのボーダーを超えることはないであろう・・・








 試合の翌日、私はサンシャインサカエにてKⅡ「手をつなぎながら」公演の最中にあった。盆を避けて取得した夏季休暇も、この日が最終日であった。


 公演の終盤「遠くにいても」1曲を残したところで明音が客席に語りかける・・・




 「皆さんの中には明日からお仕事という方もおられるでしょう。今日の公演で皆さんに少しでも元気を与えることが出来たのなら私達は嬉しく思います・・・」




 この公演後、赴任先に戻らなければならない私の心を打つ。この日の「遠くにいても」はいつも以上に切なく響いた・・・。






   前日「瑞穂」で見失った「名古屋」という(もう一つの)「ホーム」を、


  私はここで取り戻した。


   そして「KⅡ公演」は私にとって「万博」「甲子園」と同義になった。





  もたらされた「福音」はアジールの住人たる自覚の萌芽である。