みなさん、はじめまして(*ฅ́˘ฅ̀*)♡
ブログへのご訪問ありがとうございます♡
私のことを初めて知ってくださった方
のために自己紹介をさせていただきます。
最後まで読んでいただけるとうれしいです。
長崎の小さな島で育った15年間
私は長崎県生まれで、信号もコンビニもない
自然豊かな離島で生まれ育ちました
登下校手段は、
朝は母の仕事ついでに
母の会社と学校の別れ道まで車で
(そこから徒歩)
帰りはバスなのですが…
なにせ本数が少ない![]()
乗り遅れた時は50分くらいかけて
歩いて帰らないといけません![]()
小学生の私は
道端の野花を摘んだり
木苺や木の実をとったり
一向に家につく気配がない![]()
そんな時、よく軽トラが通ると
『誰かな?』と見ては、話しかけて
もらう事を待っていたような子供でした![]()
ありがたいことに、
よく、おじちゃん・おばちゃんに
軽トラの荷台に乗せてもらって
家の前に着いたら降ろして貰っていました![]()
とても優しい島の人たちに可愛がって
もらったなぁと今でも思います(感謝)
それなのに、中学生になると私は、
密かに『島☆脱出作成!』を計画し始める
のです。
このまま島に居たら…私の未来は…
農家か漁師のお嫁さんかな?とか
漠然と考えるようになりました。
農家や漁師のお嫁さんが嫌だった
わけでありません![]()
ただ、外の世界を知り
ドラマの中の世界の
バリバリと働くキャリアウーマンに
憧れていたのだと思います![]()
両親は共働きで2学年上の兄との4人暮らし。
決して裕福な家庭ではなく、
両親は夜遅くまで私たちのために
働いてくれていました
そんな親を見て更に
苦労を掛けてしまうと分かっていながら
高校は下宿しないと
通えない場所に行きたいと
言ってしまうのです![]()
親不孝な娘に両親は、嫌な顔一つせず
許してもらいました![]()
私の田舎では、
男性は大学に行くと世間体がよく
女性はいつかは嫁に行くからと
高卒が当たり前といった
感じでしょうか…。
私も学びたい気持ちはありましたが、
高校まで卒業させてくれた両親に感謝です![]()
それからは、自分で稼いで自分で学ぼうと
私自身も強く思えました。
学歴が全てではないと…![]()
先日70歳を超えている母に
あることを打ち明けられました![]()
それは、
『○○(兄)だけ大学に行かせて
YUKAを行かせられなかった事を
今でも後悔していると…。』
驚きました!
よくそんな昔のことを
今まで後悔させていたなんてっ!
私は咄嗟に、
『大学行かなくても、私、立派に
会社で頑張ってるよ!
どんどん昇格させてもらえたし、
大学に行ってたら、学校行かずに
アルバイトばかりしてたかも
しれないしねっ!
それなら、少しでも早く社会人になって
しっかり稼いだ方が良かったよ』と。
母は兄と私を自慢の子どもたちと
言ってくれます![]()
出来が悪くても親にしてみたら
可愛いのかな![]()
兄はサラリーマンを経て独立し
今では会社の社長さんで
これまでの下積み時代を考えると
よく耐えて頑張ってきたなぁと
尊敬してます![]()
父は自営業で、
父みたいに職人としてこだわり続け
お客さんに優しく、キッチリ仕上げる…
働きぶりは真似できないと思うほど
仕事人間でした![]()
私は島育ちでスクスクと成長し
遊びは自分で見つける!
おやつは自分でなんとかする!と
子どもながらに自立した心を
もっていたかもしれません![]()
母は兄と私が
どうやって大きくなったのか
記憶がないと言います![]()
そうでしょうね…
生きるのに精一杯でしたから…
早く親元を離れてしまった母のために
島で暮らした15年の記憶を話して
あげました![]()
・保育園のお迎えの時間になっても
母が迎えが来ず、友達のお母さんが
連れて帰ってくれて
母のお迎えを友達の家で待っていたこと
・授業参観や学習発表会には一度も
来れなかったこと
・夜遅く仕事が終わる両親を待つのは
とてもお腹が空き、兄と貯金箱から
定規を使ってお金を引き抜いていたこと
(貯金箱の隙間に定規を入れて、小銭が
乗ったらゆっくり引き出すんです)
・30円を手に、兄と駄菓子を買ってたこと
大爆笑している母を見ると
幸せな気持ちになりました![]()
子供のため、生活のために
汗水流して働いてくれた
両親の背中を見て
私たち兄妹は育ちました![]()
私は島の草花のように、強くたくましい子に
育ったと思っています![]()
幼少期のことだけでこのボリューム
( ˙▿˙ ; )
↓続きはこちら★↓
↓幸せになるはずだった専業主婦時代![]()
\離婚経験を乗り越える/




