相変わらず続く母の教会通い。

中学に入ると、私は部活に入ったので帰宅が17時過ぎ。

私が帰宅してもまだいない事もあった。

母は素直だけど頑固な人。

もう母の宗教での家族のいざこざにも慣れていた。

慣れるしかなかったし、ただ早く時間が過ぎるのを、耳を塞いで、自分で『あーあーあーあー』とか声を出して聞こえないようにして誤魔化してた。


当時は部屋がなくて、めちゃめちゃ家が狭かったから、両親のその争いごとは、真隣の部屋、襖を挟んだだけのところだったから、全てが丸聞こえだった。



どうしようもなく嫌で辛くても逃げ場がなかったから。

それは、今となっては外に出れば聞こえなかったんじゃないかと思う事もあるんだけど、結局私にとって家の中が安心だったのかもしれないし、外に飛び出す勇気、自分の心を守るよりも、

誰も悪くない争い、父も母もどちらも悪いわけではないから、外に逃げ出す行為が気分を害するっていうか、余計にどちらにとっても耐え難い事に感じるかもしれないと、そんな風に思ったような気もする。

父も母も私達を愛してるからこそって感じてたし、母に対しては可哀想だと思ってたし。

父も母の事も、側にいて守りたかったみたい。今になってその時の心情を思い出すと気付く事が増えてきたなぁ。

母は典型的なインナーチルドレンだったから、私はもうその事に気付いてから、誰も悪くないのに、

『なんでうちなの?』っていつも神様に聞いていたよ。

でも、その頃は答えは分からないままで、母のいう宗教の神様が本物なら、早く私の願いを叶えてよ!!!!って怒りまくってた。

嘘つきじゃねーかよ!!いつになったら叶えてくれるんだ!!!!ってとにかく怒ってた。




海みたいな感じだった。
荒波の日もあれば、凪の時もあった。

そんな毎日でも、力強く生きていたと思う。

兄弟と、ばあちゃんがいてくれたお陰だと思うし、私はかなりのファザコンだったから、父がいるってだけで嬉しかったのも救いだった。


テストの点数が悪過ぎて怒られた時はクソって思ってたけど、その思いを分かってたからわだかまりみたいなのもは出来なかった。

そんな毎日のある日、父がお腹が痛いといい、その痛さが尋常じゃない痛さだったらしくて色々検査する事になって、結果尿管結石を患ってる事が分かり、通院で対応出来ないから入院になったんだけど、



私自身がさみしいという事、じいちゃんが怖いから、父がいないと守ってくれる人がいないという心細さから、本当にめちゃめちゃ辛かった。

父も自営業者で、父にしか出来ない仕事ばかりだったから、それを止めなきゃならない事で父自身もとても辛そうで。

それに、結石の治療も本当に辛そうで、『出産と同じ痛み』と言われてるらしくて、

時々襲われる痛みに耐えて、その合間に治療してる父を見舞う事も私はめちゃめちゃ辛くて、涙をみせないように必死で堪えて、帰りの車の中で泣いてた。

泣いてた、っていうか、涙が勝手に出てきた。

この時期は特に、兄と弟の体が早く大きくなって、強くなって、じいちゃんに勝てるようになってくれーって凄く思ってたなぁ。

本当にじいちゃんが怖かったんだなぁ。懐かしい。

その間も母は、前にも増して一生懸命に通ってた。

父が入院したから。

それは、母のお布施的なものや、祈り?みたいなもの、信仰心が足りない、先祖供養が足りないから、そういうことが起きてるんですよ、という事なのだ、

母のやってる宗教は、全ての出来事に、そうやってあれやこれやとこじつけて、色んなものを奪っていった。