被災地への訪問 | "What's new ? " Diary

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「旅客来たりて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘・遍く 天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲 まざるの族敢て一人も無し・・・」 日蓮「立正安国論」

3.11の大震災と政治の混迷等が重なり、上記が脳裏に蘇りました。

福島第1原発の放射能漏れ事故の影響もあり、宮城県の被災地への訪問は、震災から5ヶ月を経た今月(8月)になってしまいました。

今回は、主に石巻市と雄勝町を訪問しました。

はじめに、あまりにも甚大な震災の後、自衛隊、地元及び全国各地、また海外からの支援により、ここまで復興できたことに感謝したいと思います。

宮城県警察本部のHPでは、震災以降、現在に至るまで、毎日新たに身元が確認された犠牲者の方々の一覧を公表し続けています。

現在も体育館での共同生活や、仮設住宅での生活、また遠方での新生活などを強いられている人たちがたくさんいます。

その方たちの1日も早い、元の生活への道筋がつくことを祈らずにはいられません。

石巻市の地名の由来になったという伝説を持つ巻石(まきいし)は、地盤沈下の影響で水没し、確認することができませんんでした。

石巻市から雄勝町に向う途中、石巻市立大川小学校を訪問し、冥福をお祈りしました。

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岩手県の釜石東中学校及び鵜住居小学校のように「奇跡」が起こった学校もあった反面、多くの死亡・行方不明者を出してしまった学校、保育園などがあったことに無念さを感じます。

雄勝町は、雄勝硯で有名な地域です。
東京駅の屋根にも雄勝石が使われています。
あまりの被害の甚大さに、呆然と立ち尽くしてしまいました。

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かつて親戚の家があった住宅街は、家の土台のみを残して、一面、平坦な土地が続いていました。
以前の町並みの面影は、全くありません。

小中学校、雄勝硯伝統産業会館は立ち入り禁止となっていました。