イスラム教とは何だ(4) | 先祖を尋ねて

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姓氏のご紹介はほぼ終わったので、日常雑事、架空の物語、政治経済など気儘に書き込む。
参考資料、文献などは要所に集約して示す。

イスラム教とは何だ(4)
テーマ:宗教

現在につながる中東の対立(その1)


今年も半分近く過ぎて、GWにこんなブログを年寄りが書いている。
読んでくれる人がいるのだろうか?

 このテーマをシリーズで書く理由は、近付いて来た「憲法改正」の賛否
投票の考え方の肥料かオカズにする為で、
主に池上氏を参考にしている。

●イスラム教の中の大きな2つの宗派

図11.スンニ派とシーア派


 イスラム教では「偶像崇拝は禁止」。しかし、イランの主都テヘランでは
いたるところに指導者(カリフ)であるホメイニ師の肖像画がある。
大統領選挙の時には選挙ポスターが町中に貼られる。

一方のサウジアラビアでは、イスラムの教えを厳格に守り、映画すら偶像崇拝
にあたるので、劇場も映画館もない。これがスンニ派で「スンニ」とは慣習や
伝統と言う意味だ。血筋には拘らない。こちらが正しく教徒の85%を占める。
日本人には付き合い難いかな?

シーア派が何故出来たかと言うと、ムハンマドの頃はアラビア半島だけだが、
彼の死後、長老や信頼の厚い人がカリフになった。エジプト、シリア、イラン
を支配する様になり、4代目アリーはムハンマドの従兄弟であり、ムハンマド
の娘と結婚していた。

アリーが暗殺され、後継者選びの時に「アリーこそが正しい血統であり、
他の者はカリフとして認められない」とするアリー派が後の「シーア派」と
呼ばれる様になった。一理はあるのだが慣習を無視するのが??だ。

愚老個人としては、スンニ派の肩を持ちたいがーーー。

図12.スンニ派のサウジアラビア
 イランとは「アーリア人の国」と言う意味でアーリアとは「高貴なる者」を
意味するプライドが極めて高い。しかも、オリエントを支配したペルシャ帝国
の子孫である。(ロシア民謡のステンカラージンでペルシャの姫なりと歌うね)

ペルシャ文明、ローマ文明、エジプト文明と世界に冠たる高度文明の担い手
アラビア半島の田舎者と一緒にするなという意識は強い。

しかし、預言者ムハンマドは(サウジアラビアの)メッカで生まれた。メディナ
の聖地もサウジにある。大変な誇りだ。即ち、サウジはスンニ派国家。
法律も国会も無い。人間が守るべきことは神が示している
からだ。

サウジアラビアは原則として観光客を受入れていない。

図13.教えを厳格に守ると聖戦(ジハード)
 もともと論を並べると、①イスラムの為に努力する、②教えを守る。
③1日5回のお祈りで早起きするのは辛い、④断食の月の昼間の空腹も辛い、
⑤異教徒が土地に攻めて来たら守る、防衛戦。
これらは全てジハードで、弓矢や鉄砲大砲ばかりが戦いではない。

最近は一部の人で「復興主義」が変質して「原理主義」「過激派」と成下った。
本来はイスラム教は平和主義の宗教だ。
戦争しますと言う宗教は無いか(爆笑)



図14.イスラエルと周辺国


 「中東問題」の別名=「パレスチナ問題」
パレスチナには2000年前まで、ユダヤ人(ユダヤ教徒)の王国だった。
ダビデ王、ソロモン王は超有名だろう。約束の土地だった。
ローマ帝国に滅ぼされ追出され、世界各地に離散(ディアスポラ)。

中世ヨーロッパの社会から「ユダヤ人がイエス・キリストを十字架にかけた」と
迫害される。WARⅡではナチス・ドイツによる殺戮は「アンネの日記」にも残る。

「シオニズム運動」=聖書の約束の「カナンの地=パレスチナ」戻ると言う運動
国際社会も応援する。しかし、パレスチナには既にイスラム教徒のアラブ人が
多く住んでいた。

「パレスチナ分割案」=1947年国連はパレスチナをアラブ人、ユダヤ人が夫々
住む国に分ける案を創った。

しかし、パレスチナのエルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の
聖地が、旧市街の1km範囲に集まっているので、「国連管理地区」とした。

1948年ユダヤ人達は「ユダヤ人の土地」と定められた所に「イスラエル」
国家を建設
した。

この①と②がその後、今も続く中東問題のキッカケとなるのだ。

あまりにも長くなったので途中でカットして、
現在につながる中東の対立(その1)、(その2)とします。
(続く)