イスラム教とは何だ(5) | 先祖を尋ねて

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姓氏のご紹介はほぼ終わったので、日常雑事、架空の物語、政治経済など気儘に書き込む。
参考資料、文献などは要所に集約して示す。


イスラム教とは何だ(5)
テーマ:宗教

現在につながる中東の対立(その2)


 イスラエルとパレスチナの歴史的合意がなされたが、
パレスチナ問題(中東の火薬庫)を巡る主な動きを,以下の
●年表に纏める:

1947年 パレスチナ分割決議を国連が採択する
1948年 イスラエル建国宣言。その翌日第1次中東戦争勃発
1956年 第2次中東戦争
1967年 第3次中東戦争
1973年 第4次中東戦争
1981年 エジプトのサダト大統領が暗殺される
1993年 オスロ合意(パレスチナ暫定自治宣言)
ーーーーーラビン首相とアラファト議長、クリントン大統領が仲介
1995年 イスラエルのラビン首相が暗殺される
2004年 PLOのアラファト議長が死去

図15.アラファト議長WEB
    (アラファトは水玉のターバンで有名、元テロリストだった。
     過激派でも迫力で抑え込むカリスマ性があった)

図16.パレスチナ問題
 =(中東の火薬庫)=(ユダヤ人とアラブ人の対立)
 
 カリスマの(アラブ人)アラファト議長の死後、分裂が起こる。
もともとPLOには、イスラエル(ユダヤ人)と共存を図る、金には汚いが
穏健派(ファタハ)と、共存なんて考えられないと言う過激派(ハマス)が居た。
それをアラファト議長が抑え込んでいたのだ。

パレスチナの西側に居たアラブ人達はエジプトに助けを求めてガザ地区に、
東側のアラブ人達はヨルダンが占領したヨルダン川西側地区に逃げ込んだ。

パレスチナ自治区を作る時、主流派のファタハは既に腐敗していた。
EU(欧州連合)や日本から莫大な援助をしたが、ファタハの幹部の懐に!!
ガザ地区は地中海に面し、景色の綺麗なリゾート地には白亜の豪邸が建つ。
EUが寄付した高級外車は幹部の家族が乗り回す。住民達は何と見るでしょう。


ファタハは腐敗したハト派で、ハマスは金に清潔なタカ派。
米国もイスラエルもハマスをテロリストに指定している。しかし、ハマスは
診療所を造り病人の世話をし慈善活動に力をいれる。

選挙ではガザ地区でハマスが圧勝。
手製のミサイルを造り、イスラエル側に
打込まれる事態が頻繁に起こり、その都度イスラエルは報復攻撃をした。

ところが、2014年にファタハとハマスが和解し統一政府を創ることになった。
イスラエルが「あんなテロリストと手を結ぶなら中東和平は中断する」と。

米国オバマ大統領の仲介で、イスラエルとパレスチナの2国家共存の協議が
進んでいたが、白紙に戻った。1947年から続く中東問題は簡単ではない。

少ない体験ではあるが、現地で土木工事や発電施設を造る作業に従事する
技術者や作業員は仲良く、愉快な連中だったと思う。
政府や役人が入ると拗れる国なのだなー。

図17.英国の3枚舌
 そもそも中東問題の種を蒔いたのはイギリスと池上氏は断定する。
かってはユダヤ教徒もイスラム教徒も比較的平和に暮らしていた。
彼らはWARⅠ(1914~1924)の後、激しく対立するようになった。

産業革命(18世紀半ばから19世紀)の後、ヨーロッパが大不況に陥り、失業者が
増加、人口も多過ぎた。そこでアジア、アフリカに進出し植民地支配し、
新市場、領土を獲得して問題解決に率先したのがイギリスである。


行く手には強大なオスマン帝国がいた。オスマン帝国を倒すには、戦いの勢力
が欲しく、二枚舌ならぬ「三枚舌」を使った。

舌の一枚目:
  帝国内のアラブ人に「もし反乱を起こしてくれたら帝国が倒れた後に
 アラブの独立国家を造っていいよ」と。英国を信じて反乱をおこしたのが
 フセインであり、アラブ反乱軍を率いたのが映画にもなった「アラビアの
 ロレンス」である。俳優は英国人だった。
 
図18.アラビアのロレンスWEB

舌の二枚目:
  フランスとの秘密条約「勝ったらオスマン帝国の土地を分け合おう」と。

舌の三枚目:
  戦争が長引き資金不足になった英国。金持ちのユダヤ人達に頼みこむ。
 「戦争が終われば住んでいたパレスチナの地にナショナルホームを建てて
  良いから」と。ユダヤ人=後のイスラエル人。ユダヤ人は金持ちが多い。

 WARⅠの戦勝国になった英国はパレスチナを手に入れる。
アラブ人にしてみれば、自分たちの土地に異教徒(ユダヤ)が何故入って来る?
当然トラブルが発生する。別の原因でWARⅡへと突入し、連合軍として勝利
するが、英国の消耗が激しく、1947年にパレスチナを放棄して、問題解決を
国連に丸投げした。
尚、国連とは実質的に米国である。米国の巨大な金持ちはユダヤ人である。

蛇足ながら、新興国のイスラエルが中東戦争を勝ち抜けた秘密は、アラブ人は
馬と刀で戦ったが、イスラエル人は英軍兵士として戦い戦術を習い身に付け、
将来を予測して、ヨーロッパから大量の武器弾薬、戦車を仕入れていた。

馬と戦車では勝負になりません。原爆に竹槍で向かった国もあったとか(笑)。
中東問題の原因はイギリス(英国)にある。
(続く)