十亀氏とは-8  | 先祖を尋ねて

先祖を尋ねて

姓氏のご紹介はほぼ終わったので、日常雑事、架空の物語、政治経済など気儘に書き込む。
参考資料、文献などは要所に集約して示す。

十亀氏とは-8        
先祖

簡略化された系図


 系図としてのルート上で重要な人物は書かれている。
しかし、日本史の常識的な人物の影もない。
その理由を考察できたので後程ね。

先ずは世にも変てこな系図から(笑)。m(_ _ )m

60桜子画伯.JPG
図9.冬嗣から(孫の絵で代用した(笑)
この2歳の孫の絵でご先祖様も慰められるだろう。

1.鹿島立ち:(広辞苑より)旅行に出で立つこと。かどで。鹿島神社は
   九州、四国、東北にもある。2013年NHKで、生きる意味、国家の意味を
   「アテルイ」に託して表現した。鹿島神宮の影響があったらしい。
   神話で鹿島・香取の2神が天孫降臨に先立ち平定した吉例と、
   中臣鎌足が鹿島の中臣氏出身と、我が先祖は知っていたらしい。ヽ(゚◇゚ )ノ
   
2.不比等の超能力にも反感に近いものがあった様だ。
  どんなに財力や権力が強くなっても、臣下は天皇を犯してはならない
  と言う思想を創り、萬世にまで守らせた意義を、
我が先祖は理解出来てなかった様子だ。
勇猛だけの宇都宮氏の限界だったか。

3.房前(北家)、真楯、○、内麿、○、冬嗣、良房、基経、忠平、師輔、
  兼家、道兼(末弟に道長)、と続いた意味を御先祖は理解してない。(。>0<。)
  だから、 冬嗣の下、[良房、基経、忠平、師輔、兼家]と
[道長]等が省略されている。悪名者の抹消と高名者への反感だろうか?

  ここは、1、2名の復活と悪名の挽回をして挙げなければ、
  愚老のブログの意味がなくなる。

  長くなるので、日を改めたい。