一色松山商元監督 | 先祖を尋ねて

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姓氏のご紹介はほぼ終わったので、日常雑事、架空の物語、政治経済など気儘に書き込む。
参考資料、文献などは要所に集約して示す。

一色松山商元監督先祖を尋ねて-井上明
スポーツ、教育

恐い鬼監督
             

 今年はスポーツ界の暴力問題が大きな話題になった。
教育界にも昔から根強く潜在している。
一色監督の指導法は暴力よりも恐い方法だったと言う。

昨日、4月25日にご紹介した松山商は四国や愛媛の古豪だ。
「守りこそ最大の攻撃」を伝統とし、1:0で勝つチームだ。
派手なホームラン競争は学生野球ではないと言う方針である。

青森県三沢高校の太田幸司選手と松山商高の井上明選手は
2日間に亘り死闘を繰り広げたが、太田は本当に1人で投げた。
井上は2日目はリリーフを仰いでいる。


問題は1日目:0:0で18回延長引き分けになるのだが、
実際には15回で若し判定するなら三沢の勝ちだった。
15回裏:松山商の守り、1死満塁、ストライク入らずボール3、
 あと一つボールになれば三沢の勝ち、松山の負け。

この時、疲れ切っている平凡な投手・井上明は少しも慌てず、
動揺しなかったと言う。ここはストライクで無いと負ける。
その前2ボールの時に、バッテリーは迷い一色監督の方を見た。
何と「ボールを投げよ」のサインで監督は帽子を脱いだ。
「弱ったな、困ったな」の表情ではない。練習の時と同じだ。
作られた3ボールだったのだ。

ストライクしか来ないと読んだ三沢高はスクイズを仕掛けて来た。
遠く外したボールではバントできずバッターアウトで2死。
3塁ランナーは挟まれて帰れず、3アウトで得点なし。


一色監督の日頃の練習はこうだ:
①練習で120%の力を振り絞らないと試合では力は出ない。
②特にエースは他の選手の2倍練習して信頼を得ないと、
  野手は体を張って守ってはくれない。
③捕手が構えた所に、直球10本、カーブ5本を決めないと、
  最後の練習でも終れない。投手には厳しい。
④野手へのノックはとても上手で見ているプロでも惚れたらしい。
⑤井上選手の話なので監督との信頼関係あったのか不明だが、
  投球練習の最後に、監督が井上の横に立ち、場面設定する。
 「0-0の9回裏、2死満塁、3ボールになりました。井上投手、顔が青ざめています」
と大声で実況放送の様にプレッシャーを掛けたそうだ。
ここを切り抜けても延長10回の苦しみがある。
 これを毎日やっていたのだから、強い三沢高との一戦の方が
 楽しかっただろうと思う。

〖井上明投手〗松山市生れ、松山商→明治大学、投手、主将。41試合で11勝8敗、
55奪三振。→三菱重工長崎→朝日新聞、スポーツ記者、高校野球に関して多くの
署名記事を書いている。  投手としては平凡な記録だが、
監督と選手の信頼関係を記す貴重な成果を残してくれた。
現在62歳。