「君の膵臓をたべたい」
を読みました。
2016年の年間ベストセラー本は2017年に映画化されていて、映画は随分前に観ました。
また、漫画化もされていて、上下巻あったのだが、これも随分前に読みました。
単行本は、随分前に買ってあったのだが、なんとなく読み始めたら止まらなくなり、全部読んでしまいました。
原作の「活字」だけによる「語感」の良さを感じました。
原作は、いろんな描写が細かくあって、心の内面がより深く読み取れるので、より感情移入がしやすくなるようです。
p192 主人公が入院中の女の子に質問する場面があります。
「君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?」
女の子の答えが、
「誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。
それが、生きる。
自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。
誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きているってことだと思う。
私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。
そうして、形成された私は、今、生きてる。
まだ、ここに生きてる。
だから人が生きてることには意味があるんだよ。
自分で選んで、君も私も、今ここで生きてるみたいに」
女の子は膵臓に病を抱えて、死をみつめています。
そういう設定の中で、作者が女の子に語らせているこの部分が、心に残ったのでした。
そして、この本を読んでいる私の頭の中で、BGMのように流れていたのが、宇多田ヒカルの「初恋」です。
この2人の切なくも甘酸っぱい感じが、宇多田ヒカルの「初恋」とマッチしているからでしょうか。
宇多田ヒカルの「初恋」↓