昔、筋肉少女帯の「日本印度化計画」や「踊るダメ人間」という曲があった。
歌詞の内容はともあれ、タイトルにすごく惹かれた。印度へは行ったことないが、一度行ったら好きではまる人、嫌いで懲りる人に分かれるという。一方でアメリカは世界の主導権を握りたがるイメージがあり好きになれず、バカンスや人生を楽しむヨーロッパ(イタリアやフランスやスペインなど)が好きと答える人は多いようだ。印度はIT企業や産業の発達している地域がある一方、貧しい地域、古きよき地域もある。
私が印度にあって、日本に足りないと感じるのは、印度は宗教や心を大事にする土壌があるところである。例えば、貧しい人や瀕死の人の内に神を見て、優しい言葉や何か出来ないか救いの手を差し伸べること。
仕事にばかりあくせくせず、家庭も持たず、神様や究極の存在に出会う為、自分を見つめ続けること。
日本では日々仕事をしていると、知識や仕事の経験や実績が、収入や評価の基準となっているのがわかる。学校教育に比較宗教学や比較民族学などがあまりないから、徳育など人格教育が重んじられない。今の日本人は仕事や生活上で人を人と思わないパワーハラスメント的な人間が結構いないか?すぐに他人の悪口言う人いる。それが仕事の出来る人だから困る。社会づくりや教育や家庭のしつけの欠陥じゃない?と思われる。
一方で人生楽しまなくちゃというのは、ヨーロッパのようにバカンスを持たないからという意見が出てくる。結構だが、仕事と休日のワークアンドライフバランスは日本では、とかく夫がもっと家事に参加しなさいという意見が多く、休日が仕事になってしまうようだ。
かつてのオウム真理教の事件などから、印度の宝物が日本人に受け入れられることもなく、日本印度化計画は終息したかに思える。スピリチュアルブームもしかり。しかし、密かに一人一人が心がけている時代に入ったと思う。特に不況で生活が貧しい人は苦しいが、その中で神について思い巡らす時もあるかもしれない。あと、自然に囲まれる機会のある人など。
今は亡きユング心理学の河合隼雄先生が、国際社会のアイデンティティーの持ち方の方向性を、残してくれている。それは「多光源パラダイム」とおっしゃった。西洋の自我確立型と東洋の無意識円環型の両方を、アイデンティティーとしてマイルドに受け入れて国際社会で生きてゆくこと。仕事と休日のバランスをとる、自分同様に隣人にも愛を持ち神を見る…。
完璧にせず、出来ることから少しずつやろう。
それが私なりの「日本印度化計画」なのである。
楽しいではないか。