昔函館に旅した時、トラピスチヌ教会を訪れた。自然の中に囲まれた女性の修道院である。生涯をキリストやマリア様につかえると、清らかで平和な心でいられることが約束されよう。普通に働くだけで、資本主義に毒されるからな。
東京の南千住に山谷という地域が昔あった。日雇いの労働者や貧困者がいた。あしたのジョーも、山谷が舞台だ。貧困者たちの炊き出しに、教会の女性たちが活動していた。「蟻の街のマリア」と言われた女性がいた。マザーテレサのようにインドの宝物はこういった日本の地にも生きている…。
昔、筋肉少女帯の「日本印度化計画」や「踊るダメ人間」という曲があった。
歌詞の内容はともあれ、タイトルにすごく惹かれた。印度へは行ったことないが、一度行ったら好きではまる人、嫌いで懲りる人に分かれるという。一方でアメリカは世界の主導権を握りたがるイメージがあり好きになれず、バカンスや人生を楽しむヨーロッパ(イタリアやフランスやスペインなど)が好きと答える人は多いようだ。印度はIT企業や産業の発達している地域がある一方、貧しい地域、古きよき地域もある。
私が印度にあって、日本に足りないと感じるのは、印度は宗教や心を大事にする土壌があるところである。例えば、貧しい人や瀕死の人の内に神を見て、優しい言葉や何か出来ないか救いの手を差し伸べること。
仕事にばかりあくせくせず、家庭も持たず、神様や究極の存在に出会う為、自分を見つめ続けること。
日本では日々仕事をしていると、知識や仕事の経験や実績が、収入や評価の基準となっているのがわかる。学校教育に比較宗教学や比較民族学などがあまりないから、徳育など人格教育が重んじられない。今の日本人は仕事や生活上で人を人と思わないパワーハラスメント的な人間が結構いないか?すぐに他人の悪口言う人いる。それが仕事の出来る人だから困る。社会づくりや教育や家庭のしつけの欠陥じゃない?と思われる。
一方で人生楽しまなくちゃというのは、ヨーロッパのようにバカンスを持たないからという意見が出てくる。結構だが、仕事と休日のワークアンドライフバランスは日本では、とかく夫がもっと家事に参加しなさいという意見が多く、休日が仕事になってしまうようだ。
かつてのオウム真理教の事件などから、印度の宝物が日本人に受け入れられることもなく、日本印度化計画は終息したかに思える。スピリチュアルブームもしかり。しかし、密かに一人一人が心がけている時代に入ったと思う。特に不況で生活が貧しい人は苦しいが、その中で神について思い巡らす時もあるかもしれない。あと、自然に囲まれる機会のある人など。
今は亡きユング心理学の河合隼雄先生が、国際社会のアイデンティティーの持ち方の方向性を、残してくれている。それは「多光源パラダイム」とおっしゃった。西洋の自我確立型と東洋の無意識円環型の両方を、アイデンティティーとしてマイルドに受け入れて国際社会で生きてゆくこと。仕事と休日のバランスをとる、自分同様に隣人にも愛を持ち神を見る…。
完璧にせず、出来ることから少しずつやろう。
それが私なりの「日本印度化計画」なのである。
楽しいではないか。
折口信夫は生活の中の祭事や神的な風習を、「生活の古典」と言った。各地のお祭りやお盆なども常世とあの世との接する時なのだろう。私は普段の生活から離れ、母なる自然の中に身を置くと、心が解放されワクワクする。人によってはコンサートやディズニーランドに行くのと同じ位、大自然を思うとワクワクする。例えば、紫とオレンジの夕闇や、夏の彼方に見える入道雲など、地球は素晴らしい!と思える瞬間である。日本の自然は素晴らしいが、特に八重山の野生の生態系に出会えると思うと、遠足前の日や昆虫採集に出掛けるのように、ワクワクする。
花鳥風月とは日本人の心の美徳のようだ。また極楽浄土とは、殺伐としたこの世を極楽浄土に出来たら悟ったことになるという。
しかし、それは「自然は美しい」「この世の中は美しい」と思う横門であり、本当の悟りは次元の超えた縦門であるという。
ワクワクは入口で、クールでシビアなピュアな世界が待っているようだ。
かつて八重山の自然の中で、そんなことを思っていた。