呼吸と運動と環境により、体内への酸素の取り込まれ方が変わり、老化に影響を与えている。
以下運動と呼吸に関して外観してみる。まず、無酸素運動では解糖工場によりエネルギーを作り出す。短距離走や重量挙げがこれにあたる。一方、カロリー(糖)を抑制し有酸素運動をすると、ミトコンドリア工場の酸素消費によりエネルギーを作り出す。この時有酸素運動を継続すると長寿遺伝子が発現し、より燃費のいいミトコンドリアが生成される。ところが、過剰な酸素はフリーラジカル(活性酸素)をミトコンドリアで発生し、遺伝子を傷つけて細胞の老化が起こるという。巷の高濃度酸素カプセルは必ずしもフリーラジカル発生の点でよいとは言えない。では、酸素が体に取り込まれないとどうなるか。脳に酸素が供給されず8分を経過すると、死に至るという。フリーダイビングというスポーツがある。息こらえをしてどれだけ深く潜れるかを試みる。その時体はブラッドシフト現象が起きているという。つまり、体の生命維持に必要な部位、脳と心臓に血液と酸素が集まるようだ。また、仙道の胎息やヨーガのケーバラクンバカという呼吸状態は、自然に訪れる止息を究極の呼吸としている。この時まず考えられるのは、ブラッドシフト現象だと考えられる。加えてクンダリニーという体内エネルギーが覚醒している行者の体感では、この時外気と体内の細胞が直接流通しているという。単なる皮膚呼吸ではなく、宇宙エネルギー(プラーナ)が体内に取り込まれ、全身の経絡を充たすと推定する。つまり、フリーダイバーとは異なり、ブラッドシフト現象と体内エネルギーの充満状態が起きているようだ。この時、体の質が変化し(希薄化)、別次元に転送されることもあるという(身体消滅や虹の身体)。以上、不老(アンチエイジング)に有益な運動は、カロリー制限と有酸素運動による長寿遺伝子の発動と、燃費のいいミトコンドリアの生成。もう一つはヨーガや仙道の呼吸と築基(性エネルギーの節度ある保持)等による体質そのものの変化が鍵となろう。
この2種類の運動を取り入れたら、若さを保って未病でいられる条件が整うだろう。
あとは、環境やストレスや食事や遺伝子(性格)にもよると考えられるのである。
かつて中国の皇帝は不老不死の媚薬(外丹)を求めて水銀を精製し服用した。
一方、気(内丹)を練って不老不死を求めた仙道もある。煉精化気、煉気化神、煉神還虚、還虚合道がエッセンスとなる言葉であり、三を二にし、二を一にし、一を〇(道=タオ)とする。
不老不死なる言葉の「不死」の真意について、ある導師がこういった。「死なない位長生きするということではなく、もう二度と人間として生まれて来て死ぬ必要がないこと」
つまり、人間を卒業して、輪廻から抜け出して、道に合一することを不死というらしい。
また、禅問答に「片手の拍手とはこれ如何に」という問いがある。答えは「二がないこと」だそうだ。
つまり、究極的には宇宙は〇に収束されていたようだという物理学の見解を逆に辿ることになる。人間も宇宙と一体になりうる存在である。「ウパニシャッド(奥義書)」の梵我一如の言葉はそれを示唆する。
しかしながら、一元論的宇宙観は、閉じた人間と宇宙観で成り立つが、現代の人間社会は、もっと複雑で大きな多様性で成り立っているのを、我々は経験上知っている。
「everyone is island」ではなく、「nobody is island」である。つまり、創造・維持・破壊・空(中有)という人生と死後のサイクルが真実だとしても、この人間世界はしがらみや苦しみが多く、維持がかなり強固と言えよう。
一方の「不老」については、最近アンチエイジングが話題になっている。この話は次回に。

新資本主義で生きている先進国の皆さんは、幸福の価値観を何に見出だしているでしょうか。
お金や仕事、普通の生活、家庭等…。
私は努力とは救われた(報われた)人が信じることの出来る言葉だと思う。一方、無努力の思想はチベットや中国の老荘思想にある。計らいはないが、人生をサボッて生きることになろうこの思想は、真に受けてはいけない危険なものと戒めている。私自身が惹かれるのは、魂の永続性や霊性の進化やカルマ論である。地球の引力から脱出し人間を卒業するには、自らの魂を磨くことと、超作=無償(小我でなく大我)の行いをすること。この二つがカルマに落ち込まない行為である。
故にこの二つを軸に大いに努力することが人生では大事である。
しかしながら、インドの宝物は現代の先進国では価値が下落しているようだ。先日のブログで、故河合隼雄先生の「多光源パラダイム」を紹介した。これと似て非なるかもしれないが、経済評論家の勝間和代が人生のバランスシートをよく紹介しているのを見る。金も時間も自分の役割も分散してみると面白い。人生何に時間と労力を費やして、幸福を見出だすか、見通しがよくなる。新資本主義に耐えうるアイデンティティーを提示できなくてはこれからの時代についていけない。仕事があろうとなかろうと、お金があろうとなかろうと、家庭があろうとなかろうと、恐れることはない。そんな中、私はもう少し自由にこの資本主義システムに乗って仕事と人生を楽しく味わいたいと考えている。サラリーマンをやって、組織と人が如何に力関係で歪んでいるか経験してきた。もう少し面白くてもいいと思っている。
この数年は自己鍛練の日々が続くだろう。肉体の鍛練は勿論、大我に立てるよう、勉強して小我を捨てていこう。ただ地位と金だけを目先さない。そんなものは付属である。そんな夢が新資本主義では勝手に持てて、努力を継続すれば何らかの道が開けうる。努力とは救われた(報われた)人が信じることの出来るようだから。別に失敗もなく、知識は財産となる。少し硬派に生きて今後どう変化するか楽しみにしている。