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kame-ing(どうしてそんなに・・・)

60歳過ぎて歩みをステップダウン あっという間の人生だったがゆえに残りの人生はのろくあせらず「この道寄り道回り道」です。

喪中につき新年の挨拶は・・・って国民は思わないのですね・残念です
自粛したのは震災直後のあのコマーシャルの時だけ?・・深く考えないようにしてますが・

とはいえやっぱり箱根駅伝を見ながら焼酎を飲み美味しいものを少しだけ食べ寝正月しました。
復興!復興!と前向きな話題が多くなってきたことは良いことですが まだまだ仮設住宅での不自由な生活は続いていきます。

遠く離れて生活をしているとテレビ・新聞からの情報が民放のお涙頂戴報道と政治家のクソジジーたちの「たわごと」ばかりでうんざりです 12月に地デジをやっと繋いだけど駅伝が終わったのではずそうかと思ったけど天下のNHKさんに失礼なので観てます(受信料は払ったことがないけど・ごめん)

というわけで久しぶりの日記です・・・去年の11月26日に会津若松・大熊町仮設住宅へ支援物資を届けそのまま12月3日まで南相馬でボランティア・・・今年はというともうボランティアを要請している市町村はかなり減ってしまいました。失業対策で臨時職員として現地の人たちが頑張っています。

ではココで何ができるか?山梨へ避難してきているかたは約900人 私がお手伝いさせてもらってる5組の家族のほかにもたくさんいますが情報が入ってきません。個人情報法というのは良いのやら悪いのやら・・です そこで今月から「男衆」という名のボランティア講座に参加しています

還暦オヤジ限定30名でスタート・・・さてさていかなることになりましょうか?乞うご期待!

画像は会津若松の仮設住宅での冬物衣類と毛布を・・・kame-ing(どうしてそんなに・・・)-大熊町仮設住宅
伊藤秋夫さんは22歳でハンセン氏病と言う病で診療所に入り昨年念願だった写真集の完成間近で亡くなられました。生前に静岡の国立駿河療養所で熱心に撮影をしていた伊藤さんに声をかけたのがきっかけでした。
その後奥様と所内の教会牧師さんの努力でこのたび東京の「国立ハンセン病資料館」にて故人の写真展となりました。(8月27日より9月25日)
22歳の若さで戸籍を捨て「伊藤秋夫」として療養所で最後を終えそしてその生きてきた証としての「富士山」を撮り続けた半生を・・・明日「伊藤さん立派な写真展でしたよ!」と奥様に報告に行きます。kame-ing(どうしてそんなに・・・)-資料館入り口
kame-ing(どうしてそんなに・・・)-作品
kame-ing(どうしてそんなに・・・)-展示会場
アフリカ大陸の熱病じゃなくてボランティア熱温度のことです・・・
4月5月はボランティアセンターに集まる青年の熱い心に発奮させられて「今の若者もいがいとしっかりしてるんだなぁ」と実感していました。
7月・・センターの受付前に並ぶ列に「あれ?」なんと年配者が多く青年たちはパラパラでした。

現在地元山梨で後方よりピンポイントで物資支援をやってますが地元の青年たちも「ああ東北ね・・」
とあっさりしたもんです。南福島の話をきりだすと「え!放射能で身体は大丈夫なんですか?」くらいの関心度には話を続ける気になりません。

確かに現地でも「ボランティアから被災住民への雇用」という話題もでてきていますが喉元過ぎれば熱さ忘れるのでしょうか?「あとは政府がやってくれるんじゃないの?」なんて発言を聞くとがっかりです。まだまだこれから先気が遠くなるほどの年月に耐え忍んでいる被災者さんたちのことを思うと胸が痛みます。

避難所から仮設住宅へそして復興へ・・・いつになったらまたもとの普通の暮らしに戻れるのか?
個人から個人へのピンポイント支援でもいいからひとりひとりがもっと分かち合える心を持ち続けてほしい。
4,5月のボランティア登録人数>被災者数・・・ボランティア人数のほうが圧倒的多かったはずですせめて1対1の後方支援活動だけでもいい・・・あの熱い想いを忘れずに続けてほしい。