「野麦峠」
目的地とは反対方向だ。
雨も降り出していたし
この日は朝から
早目の上高地入りを考えていた。
なのに
迷いに迷って野麦峠へ行ってみることに。
きっとウチに帰ってから
「折角あそこまで行ったんだから
行ってみれば良かった」と思うだろうし…
※野麦峠の野麦とは熊笹のことなんだって
野麦峠
ここから向こうは岐阜県高山市
お助け小屋
営業していました(画像なし)
■お助け小屋の由来
お助け小屋の由来は江戸時代までさかのぼります。
「厳しい峠越えにより命を落とすものが多いことから、小屋を建て、番人を置き、峠越えをする者を救いたい」という願いを幕府が聞き入れ、天保12年(1841)に建てられました。
雪の峠を越えた工女達が体を休めたのも、このお助け小屋です。
現在のお助け小屋は、昭和45年に野麦峠の麓、野麦集落の古い家屋を移築したものです。
病気になった妹(女工 政井みね)を背負い
故郷の飛騨へと向かう
兄・辰次郎の銅像。
野麦峠に辿り着いたところで
「ああ 飛騨が見える」
と呟いて亡くなったそう
ここを皆歩いたんだなぁ
にしても…
山深いところだ。
途中ほぼ車とは合わなかった。
来る時 写真を撮っている人がいた場所。
何があるんだろう?
川浦 比丘尼の墓
野麦峠越えの尼僧が雪中で落命し
地元住民が懐中にあったお金と住民寄付で弔いの墓を建立した。
とあった。
ここは命をかけて通る
本当に過酷な道だったんですね。
地元の人たちは命を落とす人も見てきた。
きっとたくさんの言い伝えが残る
そんな場所なのではないでしょうか。
さて、ここからいよいよ上高地へ向かいます。