観心寺・金堂の奥に進み 開山堂へ
お堂の裏手は林となり緑が生い茂っていた。
そちらには弘法大師空海の十大弟子のお一人、
道興大師(実恵)の御廟があります。
そして奥には
大楠公・楠木正成公の首塚。
湊川の合戦で敗れた正成公。
その首は京都・六条川原にさらされるも
足利尊氏は残された家族を気遣い
故郷である河内へと送ったんですよね。
※湊川神社は大楠公が神として祀られている場所。
こちらはお墓です。
あまり間近で撮ったら失礼な気がして
離れた場所かせ撮らせてもらいました。
で、
このお寺の境内には天皇陵があった
この階段、見た目より地味にしんどかった。
今まで行った階段のある天皇陵では
一番傾斜もきつくて距離も長かった。
天皇陵の階段って
「少し上がれは着く」というイメージだったけど
「え、まだなの?」という感じ。
~後村上天皇陵~
・後醍醐天皇の第七皇子
・南朝・第二代天皇
・第三代・四代と続く南朝の天皇は後村上天皇の皇子たち
時代によって都は変わる。
天皇の陵も
奈良から大阪・京都へと移っていった。
後醍醐天皇の【吉野】
後村上天皇の【河内長野】
このお二方を最後に
明治に至るまで全ての天皇陵は京都となった。
なので京都以外の最後の陵ということです。
上りも結構だったけど
その分、下りも結構だった。
この旅で、気付かないうちに脚は疲労を抱えた様子。
下りの階段で若干膝がわらったのが分かった。
「施福寺」も予定に入っていたけど次回しよう。
色んな意味でチョッと不安
膝は長引いた経験があるから無理はしない。
弁天堂
天皇陵の入り口付近のツバキ。
輝いていました
南朝の行宮があった河内長野。
史実が残る場所もあり
南北朝ファンにとっては楽しい場所ではないでしょうか。
太平記を観て
バサラ大名(佐々木道誉)の墓参りに滋賀県まで行った私にも
興味深い場所がチラホラと。
また訪れたい土地でした