今回は広島電鉄の市内線(路面電車)の徒歩鉄記録です。
2025年8月3日に駅前大橋ルートが開通して広島駅2階への乗り入れた広電。
利便性向上と時間短縮を果たし、都市交通機関としてパワーアップしました。
それを記念というわけではないですが、過去に撮影した写真を出します。
以下、主に2019年、2008年の古い徒歩鉄記録ですのでご了解ください。
(一部もっと古い写真あり)
いずれも広島駅から線路沿いを歩いて撮影した写真です。

広島駅停留所 3906 (撮影2019年8月)
2019年撮影の写真です。
2025年8月2日まで使われた地上の広島駅停留所。
2階のJR改札を出て、地上の駅前広場に降りると、
広電の乗降場が広がっていました
さらに以前、旧駅ビル時代の2017年までは、
JR改札口が山陽線1番ホーム直結の1階にあったので、
駅を出ると広電が待ち構えている状態でした。

広島駅停留所 3908 (撮影2019年8月)
この駅前乗降場も、JR改札が橋上の2階に移って以降、
以前よりもアプローチがやや延びた感がありました。
それが今回、JR駅ビル2階に広電が乗り入れたことにより、
在来線も新幹線も、駅改札同一平面での乗り継ぎができるようになりました。
乗り換え時分短縮やバリアフリー向上が叶い、雨に濡れることもありません。
路面電車を持つ国内の都市では、近年、駅前広場に停留所を引き込み、
利便性を高める事例が多いですが、駅舎内に取り込む積極性は、
広島駅停留所 714 (撮影2019年8月)
広島駅南口の交差点地下には広場もある立派な地下道が整備されています。
JRの地下改札口にもつながっています。
広電の広島駅整備として、かつて地下への乗り入れも検討されました。
個人的には、この地下道は広電の地下移設の先行施設と思っていましたが、
駅ビル2階乗り入れとなり、推測はハズレでした。

広島駅停留所 (撮影2019年8月)
終電後の閑散とした様子です。
JR広島駅南口(中央口)前の地上に4面3線の電停が設置されていました。
電車到着時の降車用に3線使用、乗車には先端の専用ホーム1面も使われました。
話は飛びますが、過去には路面電車の価値を理解せず、
廃止した都市が多くあります。
ですが路面電車を路線バスに置き換えた地方都市は、
中心市街地の衰退が進んだと感じます。
昨今は旅行客、特にインバウンド需要を取り込むことが活性化のカギですが、
残念ながら地元民以外は、路線バスは使いにくく敬遠されがちです。
路面電車は地図に線路が載るので、地理不案内の人も安心感があります。
広島の場合は、新幹線からも使いやすい駅2階に移ったことで、
遠方からの旅行客を、沿線各地に取り込むことが容易になるでしょう。

猿猴橋町 1011 (撮影2019年8月)
広島駅の次は猿猴橋町(えんこうばしちょう)。
駅前大橋ル-ト開通により廃止された停留所です。
広島駅電停から僅か200mほどの位置にありました。
車両は現状、最新鋭の1000形
3車体2台車の連接車です。
中間車は台車が無く、前後の車体に支えられ浮いている構造です。
最近流行で、他都市でも同構造の車両が登場していますが、
何度見ても不思議な構造です (・・?

猿猴橋停留所とJR広島駅駅舎 (撮影2019年8月)
終電後の深夜に、猿猴橋町電停と旧・広島駅駅舎をのぞみます。
ここは2025年8月に廃止されたルートになります。
それほど広くない道路に敷かれた軌道の様子が、
廃止された名鉄岐阜市内線の雰囲気に似ています。
ここで、同じ場所で撮影したもっと古い写真を出しましょう↓

猿猴橋町・広島駅 間 1906 (撮影1982年8月)
もと京都市電の車両で、広電には1980年に転入しています。
ちなみに1906号は現在も活躍中です(2025年現在)。
写真は猿猴橋町を出て、まもなく広島駅に到着するところ。
方向幕は折り返し行先の「比治山下経由 宇品」を示します。
「宇品」は現在の「広島港・宇品」停留所ですね。
1982年の時点で、すでに冷房化改造されているのが目を引きます。
調べると1906号はこの年にクーラーが設置されたようです。
大手私鉄にも国鉄にも非冷房車がまだ多く走っていた頃。
当時から広電の積極的経営姿勢が伺えます。

猿猴橋町 704 (撮影1982年8月)
広島駅停留所まで200mほどしか離れていません。
この停留所の利用者も多いように見受けられました。
柳の街路樹が印象的な電停でした。
猿猴橋町を出た宇品行きは「1系統」なので紙屋町など都心部を通る電車ですが、
停留所で待つ方々は、西広島とか廿日市とか江波とか目指す方々でしょうか。
(都心部を通らない5系統・宇品行と紛らわしいかと、いらぬ心配を)
もとに戻します。

稲荷町 1901 (撮影2019年8月)
これは2019年の写真。
この日は朝の通勤時間帯に撮影していたら突然の大雨に見舞われました。
1901と奥は連接車3903です。
もと京都市電1900形は、2つ上写真の1982年と
変わらぬ姿で頑張っています。

稲荷町 712 (撮影2019年8月)
雨は少し小降りになりました。
屋根付き停留所は気が利いていますね。
広島駅に向かう712と奥は1156
時間的に前後しますが1156の写真はこれも↓

稲荷町 1156 (撮影2019年8月)
稲荷町停留所に停車中の1156はもと神戸市電の車両1150形です。
広電には1971年に転入しています。
イラスト塗装は、ドイツ・ハノーバー市との姉妹都市提携を記念したもの。
「ハノーバー号」と呼ばれています。
なお、1150形はこの1156号のみ残っていますが、
通常、朝ラッシュ時しか活動しないようなので、出会えてラッキーでした。

原爆ドーム前・本川町 間 807と805 (撮影2008年3月)
広島を象徴する原爆ドーム近く相生橋を走る様子。
これは2008年の撮影です。
800型の離合。
手前の広島駅行き807と奥の江波行き805は共に1990年製です。
800形は製造時最新技術の電機子チョッパ制御を採用しています。
多くの鉄道事業者で導入例がありますが、イニシャルコストがかかるので、
大量採用は、営団6000、7000、8000、
国鉄201、203、名古屋市交3000などでしょうか。
ちな、名古屋の某大手私鉄はケチなので一切採用しませんでした、、
なお、800形は近年、インバータ制御に換装した車両ありです。
(写真の805も)

原爆ドーム前・本川町 間 768 (撮影2008年3月)
相生橋を渡るもと大阪市電の車両、750形
768号は広電には1968年に転入しています。
なお、この768号は2016年に模様替えされて、
現在はイベント用車両「TRAIN ROUGE」として
活躍しているようです。
ここで写したもっと古い写真があります↓

原爆ドーム前 77 (撮影1983年8月)
これは1983年の撮影です。
旧西ドイツ・ドルトムント市から譲り受けた70形の77号。
宮島行き運用で、車内は満員状態ですね。
車体色はドルトムント市時代のまま。
また、車外の窓下広告もそのままで走っていました。
宝くじの広告とのことですが、ドイツ語はわからないので、
「はー、そうなんですか」としか言えません。(_ _。

原爆ドーム前・本川町 間 77 宮島行(撮影1983年8月)
上の写真と同じ77号。
こちらはカラー(リバーサルフィルム)で撮りました。
並行する自動車の形に時代を感じさせますね。
70形は1982年に2編成導入されました。
この77号は1990年代後半まで活躍し、
休車状態を経て2006年に廃車解体されています。
広島電鉄の徒歩鉄は続きますが、長くなるのでいったん切ります。
つづきはあらためてアップします。
◆この日歩いた距離・・・
(1)2019年8月 約2.5km
広島駅→(徒歩)猿猴橋町・稲荷町・銀山町・胡町・紙屋町~(広電乗車)広島駅
(2)2008年3月 約9.0km
広島駅→(徒歩)白島→(徒歩)横川駅・十日市町・本川町・紙屋町・胡町・銀山町・稲荷町→広島駅
(3)1983年と1982年は略
今回はここまでです。
ご覧いただきありがとうございました。
※『広島電鉄市内線で徒歩鉄 その2(過去編)』に続きます。
