前回につづいて広島電鉄の市内線(路面電車)の徒歩鉄記録です。


「その1」と同じく、2019年、2008年の撮影です。
また、もっと古い写真も少しあります。


過去の記録としてご覧くださいませ。





胡町 5107 ほか (撮影2019年8月)

銀山町(ぎんざんちょう)と胡町(えびすまち)の間にある歩道橋から、
都心部の紙屋町方向を眺めます。


この写真は、帰宅ラッシュがひと段落した夜7時半の様子です。

ここは左手に、三越、天満屋、福屋などデパートが連なる場所ですが、
閉店時間になり、店から沢山の人が出てバスや電車を待ちます。



広島ほどの都市であれば地下鉄があってもおかしくないのですが、
三角州に発達した都市ゆえ豊富な地下水が建設のネックとなる、
という理由で進展しないということを聞きます。


ここの様子を見ていると、路面電車とバスで捌けている感じです。
あえて地下鉄を造らなくてもよいのかなぁという気がします。






胡町 3907 ほか (撮影2008年3月)

これは2008年の写真。


ひとつ前の写真と同じ歩道橋から撮影。

夕刻6時前で、たくさんの人や車が行きかいます。



いちばん手前の3800形が停まっているのは胡町停留所。
後ろの元京都市電1900形は八丁堀停留所に、
その後ろには5100形が立町停留所にいるのが見えます。

交差点ごとに停留所があり、その間隔は200~300mほど。
それぞれの停留所ホームは乗降する人で賑わっています。


これくらいの駅間距離(電停間距離)だと使い勝手が良いですね。

地下鉄は走行速度が多少速いものの、駅間はおおむね1km。
地下深いホームまで時間も労力もかかることがマイナス点です。

都市内の短距離移動においては、
路面電車の方がはるかに利便性が高く感じます。





胡町 2506 ほか (撮影1983年8月)

これはもっと古い1983年の写真。
先掲の写真と同じ歩道橋から都心部を見た様子です。


建物に掲げられた看板に目をやると、
大半が今は存在しない企業であることに驚いてしまいます。


さて写真のとおり、車道が大渋滞ですが、
自動車は軌道には入らず、スムーズな電車運行が保たれています。

この当時から、行政=広島県警が電車の重要性を認識して、
軌道敷内への自動車通行を認めない方針を進めた成果です。


広島は自動車メーカーのお膝元であるにも関わらず、
クルマ最優先を志向しなかったのは、
見識ある政策と言えるでしょう。





銀山町 814 (撮影2019年8月)

これは2019年の様子。

21世紀の現在においても広島は路面電車が都市交通の主役です。




それに対して、かつて路面電車が走っていた他の都市では、
多くが1970年前後に全廃されているので、
広島市は特異な例といえるでしょう。


高度経済成長の1960~70年代は世の中の風潮として、
これからは自動車が交通の主役であり、
前時代的な乗り物の路面電車は早晩撤去すべき、
という考えが蔓延し、行政もその思想で政策を進めました。

当時は新聞マスコミまで、
「路面電車があるのは近代化が遅れている都市、恥ずかしい存在」
と無責任な論調で煽ったものです。



そうした時流のなかで、私鉄である広島電鉄はサービス向上に努め、
行政も電車を蔑ろにしなかったため、
生きながらえることができたということでしょうか。





稲荷町 3807 (撮影2019年8月)


夜の稲荷町交差点を行く「ぐりーんらいなー」連接車。
広島駅から都心部に向けて走る様子です。


現在は、この交差点で交わる道路に駅前大橋ル-トができたので、
線路は大きくカーブして接続しています。






紙屋町 5012 (撮影2008年3月)


5車体3台車の5000形、グリーンムーバー。

5000形は1999年登場の車両で、
写真の5012は2002年の最終増備車です。


ドイツ・シーメンス社製の車両で、
2両目と4両目は台車がなく前後の車体に支えられる構造です。
宙に浮いているようで不思議です (・・?

全長が軌道法制限の30mを超えるので、特認を受けています。



登場時、5001号は超大型航空輸送機アントノフでドイツから運び込まれ、
華々しいデビューが報じられました。

ところが海外製のためか整備が難しいようで、
部品取り寄せなど手間がかかり、運用離脱車が続出とのこと。

2025年時点では12編成中、運用中は3編成のみのようです。

すでに1編成(5007)が廃車済。

写真の5012は休車中です。






紙屋町 5108 (撮影2008年3月)


5100形、グリーンムーバーマックスです。
そごうデパートの建物が印象的な紙屋町交差点を走ります。


5100形は2004年登場。

整備に苦労した5000形の教訓から基本的に国産の車両です。


構造は5車体3台車で5000形に似ていますが、

全長は軌道法制限の30mちょうど。
日本の状況にあわせた仕様で設計された車両です。







紙屋町 3007 (撮影2008年3月)


ふた世代前の主力車3000形です。

3000形は計8編成が在籍していましたが、

2025年時点では1本のみ残して、他は廃車や運用離脱している模様。

写真の3007号は2021年に廃車されています。



3000形はもっと古い写真があるのでご紹介します↓↓



的場町 3005 (撮影1982年8月)


めっちゃ古い1982年の写真です。
宮島直通の主力として投入されていた時代のもの。


3000形は元をたどれば西鉄福岡市内線を走っていた車両。
広島に移ってから幾度の改造を経て3000形として、
主に宮島直通に活躍しました。


吊りかけモーターで台車はコイルバネ。
鈍いモーター音と軌道から伝わる大きな振動が印象的な車両でした。






銀山町 1909と653

1982年の写真をもう一つ。

もと京都市電の1909と、被爆電車として知られる653です。


右側の653号、650形は1942年製。
5両全部が原爆で損壊するも復旧して復帰した車両。

さらに2025年時点でも3両が運用中とのこと。
不死鳥のような電車です。

写真の653号は2015年に被爆当時の青ベース塗装にされ、
貸切など臨時運用対応車とされています。



左側の1909号は、もと京都市電で1978年に広電に転入して、
2025年時点も活躍中です。

行先方向幕の「己斐」が懐かしいです。

現在は「西広島(己斐)」ですが、
2001年までは、市内線は「己斐」電停、

宮島線は「西広島」駅として、隣接した別の駅でした。





白島 705 (撮影2008年3月)


次は路線を変えて白島線へ。
終点の白島電停で折り返し停車中の705

2008年の撮影です。



白島線は、本線接続の八丁堀と白島を結びます。
全線1.2kmほどで、途中に停留所が3つあります。


白島線の女学院前停留所は私立女子中高に近接していて、
登下校時はJC・JKでいっぱいになるとか。

残念ながら時間的に合わず、
その状態の写真はありませんので悪しからず。






本川町・原爆ドーム間 812と704(撮影2008年3月)


再び本線に戻ります。

旧太田川を渡る相生橋にさしかかるところ。
右手写真外には原爆ドームがあり、
正面左側には紙屋町交差点に建つ「そごう」が見えます。



左の812号と右の704号は、似た車体を持つ車両ですが、

800形は電機子チョッパ制御で回生ブレーキ付、

(一部の車両はインバータ制御に換装)
700形は抵抗制御の吊りかけ駆動。

 

性能スペックは全然違います。

 





十日市町 814 (撮影2008年3月)


本線と横川線が接続する十日市町電停です。


車両は6系統の江波からやってきた広島駅行き。

本線は写真手前の線路を左手に分岐して、
都心部の紙屋町や八丁堀を経て広島駅に向かいます。


停留所の屋根覆いに近代的な形状が採用され、

簡易椅子も設置されていることに気がつきます。





十日市町 5101 (撮影2008年3月)

十日市町電停に停車中の2系統・宮島口行き。
2系統は広島駅と宮島口を結ぶ、本線・宮島線直通系統です。


車両は5100形、グリーンムーバーマックス。

全長30mの低床5車体連接車は存在感があります。






別院前・寺町 間 1911 (撮影2008年3月)


次は横川線に来てみました。
やって来たのは、もと京都市電1911号

この車両は2025年現在も活躍中です。



このあたりは、停留所名のとおり寺院が立ち並ぶ区域で、
仏具屋さんの看板もめだちます。





横川一丁目・別院 間 905と1912 (撮影2008年3月)


横川新橋の上で離合するもと大阪市電905と、もと京都市電1912


左の905号は撮影後の2017年に廃車。

右の1912号は今年2025年に廃車解体されてしまったようです。




横川駅停留所 1911と912 (撮影2008年3月)


JR横川駅の駅前広場に広電のりばがあります。

乗降場に大きな屋根がかかり、

またJR横川駅とは屋根付き通路で結ばれ、
雨の日も傘なしで利用できます。


右の912号は都心部を経由する広電本社前行き。

左の1911号は南部の江波行きです。


昼下がりの訪問なので、利用者はまばらな感じですが、
朝夕は、山陽本線と可部線との乗り換え客でかなり混雑する停留所です。



ということで、広電の徒歩鉄記録は以上です。


手元の古いデータやフィルムをあさっていると、
広電についてはもっと面白い画像もありそうです。

気になるものが見つかったら、あらためて出したいと思います。





◆歩いた距離・・・

(1)2019年8月 約2.5km
広島駅→(徒歩9猿猴橋町・稲荷町・銀山町・胡町・紙屋町~(広電)広島駅

(2)2008年3月 約9.0km
広島駅→(徒歩)白島→(徒歩)横川駅・十日市町・本川町・紙屋町・胡町・銀山町・稲荷町→広島駅

(3)1983年と1982年は略




今回はここまでです。
ご覧いただきありがとうございました。