私たちはびっくりする程お母さんの影響を受けている。価値観、考え方、もう全てにおいて。
それは、さぁ紙に書きましょう!と言われた時に無意識に右手(利き手)を出すように。
私は、ずっとお母さんの事を可哀想だと思っている。
いつも我慢ばっかりで可哀想
好きな事できなくて可哀想
姑にいじめられて可哀想
おしゃれする余裕もなくて可哀想
いつも節約ばっかりで可哀想
入院して可哀想
頼る人いなくて可哀想
不幸で惨めで可哀想
可哀想 可哀想 可哀想 可哀想
ねぇ、お母さん、何でいつも大変そうなの?
私、助けたいけどできなくてごめん。
失敗ばっかりでごめん。
お母さんを笑顔にできなくてごめんなさい。
もっとできるようになるよ。
色んな事できるようになるよ。
そしたらお母さん、助けられるかな?
子供の頃、こんな風に思って育った。
今もずっとあの頃のまま、
「可哀想なお母さんを助けられる自分」を求めて頑張り続けている。
こんなに大好きなのにさ、ダイヤモンドと思えない。お母さんは不幸で惨めで可哀想。
何度ノートに書いてみても可哀想しか出てこない。何でだよ…泣けてくる(´;Д;`)
お盆に帰省して、お母さんと話をした。
ふと、
親を助けなきゃとか、可哀想とか、傲慢だよな。と思ったの。
助ける、支える、守る。
弱いから、だ。
親を勝手に弱い者にして助けなくちゃ、って随分上から目線だな。
お母さんは、弱くない。
強い。こんなに耐え忍んできたんだもの。
あぁ、お母さんは弱くないんだ。
「私、今までお母さんの事助けたくて頑張ってたけどさ、お母さんを弱いって思ってたんだね。
めっちゃ上から目線だね。子供が親を助けるなんて、傲慢だねー。やだー(^◇^;)
もう、やめるね。」
お母さん、苦笑いして
「貴方は旦那さんと子供たちとの生活を一番に考えてればいいの。」って言ってた。
少し光が差した気がした。
まだまだ、ダイヤモンドとは思えないけど、
螺旋階段を一つ上がった気がした。少しずつで、いい。
帰りに、お母さんにハグしてもらった。
腕を広げるとぎゅーってしてくれる。
お正月の時は照れながらだったけど、今回はぎゅーってしてくれた。
子供たちも一緒に絡みついてくる。団子のようになって、ジーンとして、胸がぎゅーっとなって涙が出た。