前にも掲載しました。
SKDの本拠地だった、浅草国際劇場。
OSKは、妹分的だったみたいです。

実は。
30代によく通った喫茶店がありました。
カップを選べました。ここで、ミントンやらコペンハーゲンやらを覚えました。
😄
この店のママさんがOSK出身でした。
宝塚は丁度大地真央、麻実れいの時代。
華やかな時。ママさんは大地真央が好きだったようでした。

私がカウンターから離れた席で、前日に見た、初演の「琥珀色の雨にぬれて」がどれくらい良かったか、を、友達に熱弁してました。ら。ママさんが聞いてて、
カウンターにいらっしゃい、って。😄
図々しくも席を移りまして。😅
そこで色々聞きました。
ママさん曰く。
「今は廃れたOSKの時代じゃないわよね。大地真央は素敵ね。でもね、私が若い頃は、OSKも人気でね。何と言っても、京マチ子さんよ。艶やかで綺麗な足。いっぺんで惚れて。宝塚はね、芝居の試験があったの。芝居の宝塚、ダンスのOSKって言われてたの。当時はよ。私は歌手だったの。声楽専科でね。良く使って貰ったわ。スパンコールってあるでしょ。敗戦してすぐ配属でね。とにかくモノが無い。スパンコールはお米に色を塗ったりして。大変だったの。そうそ。OSKが見下されたら腹が立つから、上等なワンピース着てフェラガモの靴履いて、背筋伸ばして歩いたわ。今はあやめ池。あんな田舎に行っちゃって。残念だわ。」
スパンコールの話と言い、凄い話。😅

私はただ、聞き入ってました。
懐かしいなあ。
ママさん、お元気かなあ。