3年生になったボウズを
励まし 支えてくれた
もう一人の親友Sクン


学校に行かなくなってからも
彼とは連絡を取り合っていたようだ



5月になり 卒業アルバムのための
写真撮影が始まった


クラス写真・学年写真


数回に分けて 何度か撮影があった



担任や福担任 養護の先生方は

ボウズが登校できるように
励ましやサポートの提案を
ほぼ毎日 してくれていた



卒業アルバムの撮影の日は

午後から登校し 保健室でしばらく過ごし

Bクンを含めたクラスメートが
保健室にボウズを迎えに行ってくれて

撮影が終わると また
保健室に送り届けてもらったという


登校できないボウズを心配し

自分達に何か出来ることはないかと
先生に尋ねる生徒さんも
いたと伺った



行かなきゃいけないのは分かってる


明日は行こうって思う


でも朝になると どうしても
ダメなんや…



学校に行く時間が近づくと
家から出て行ってしまう

ときには

裸足のまま 飛び出して行った日もあった



1時間ほど歩いて帰ってくる



そんな日が続いていた


登校しても
教室に向かおうとすると
足が動かない…


「階段の下までは行けたけど、教室には入れなかった」


「今日は数学の授業に出たよ」




中間テストの出題範囲が発表されるころには

少しずつ授業にも出れるようになった

右手舟状骨骨折


自転車の転倒で 1ヶ月ほど
右手が使えなくなった



自分の中で 抑えていたものが
限界になったとき


必ずと言っていいほど怪我をした


今度は何だろう…



3年生の新学期が始まってすぐ

心配していたことが現実になった



春休みの課題テストで
思うような点数が取れなかったこと


言葉の使い方を間違えた為に
1年生からの親友と すれ違ってしまい
顔を合わせることに
抵抗を感じるようになったこと


いろんなことが重なり
1週間で 不登校に 戻ってしまった



今まで 張り詰めていた糸が
何かのきっかけで切れてしまった



そんな感じだった



我慢、無理をして
周囲の環境に合わせてきたことが
限界に達してしまったのだと


今は なんとなくではあるが
分かるような気がする


自分に自信が持てず

いつも 周りの大人のことを気にして

「NO」

が言えない…



気づかないうちに

たくさんの 「我慢」を
させていたんだと思う



この教室に籍を置いていた半年


ボウズが ここで過ごした時間は

ごくわずか…


すれ違ってしまって
今では話すこともなくなった
親友だった彼以外にも


心配して 支えてくれた
もう一人の親友の存在がある


彼とは2年生から同じクラスになった



通信制高校を卒業するための
必須条件のひとつである スクーリング


出発の日は 不安げで
「緊張で昨日から お腹がゆるい」

と話していた



集合場所の空港まで 見送りに行った


引率の先生も 別のキャンパスの先生で

知っている人は 一人もいない土地での
3泊4日の集団生活



毎晩 送られて来るメールは

予約したテレビ番組が
無事に録画出来ているかどうかの確認ばかり



男の子なんて そんなものか…

連絡がないってことは

ちゃんと集団生活が出来てるってこと

と 嬉しいような 少し寂しいような…



はやぶさの打ち上げが延期になっていたため

ラッキーなことに

坊主が滞在中の島からも

ロケットが 空に上がっていく様子が見えたそうだ


ロケット打ち上げなんて なかなか
見られるものじゃない


貴重な体験




帰りも 空港まで迎えに行って

飛行機が到着するまで
デッキで 飛行機の 離着陸を眺めていた



遠くの空に わずかに見える塊が
だんだん大きくなって
はっきり飛行機の形を確認できたとき

なぜだか分からないけど
涙が溢れてきた


変わろうとしているボウズ

レベルの高い大学を受験することを目的とするなら

通信制高校では
きっと難しい

けれど 目標を見失い
苦しんでいたボウズには

いろんな体験をして

学力よりも大切な何かを
教えてくれる場所のような気がする

子供の人生は 親の人生ではない
子供の道を 親が決めちゃいけない


坊主が不登校になったことで

そのことに気づくことが出来た

この半年を思い出すだけで
今も視界が滲んでしまう



「楽しかったよ。あと1週間ぐらいは向こうにいたかったな」



帰りの電車の中

笑顔が絶えることなく お喋りが続く




「また あの校舎に行きたい」


「じゃあ、卒業半年延ばして もう一回行く?」


「それは遠慮しとく(笑)」