はいどうも。
前回何書くか決まってなかったけど、エミリーブロンテの「嵐が丘」読み終わって、なかなか面白かったから、それについて語ろうかなぁと思ったけど、難しいから書いてた奴全部消して、まぁ今回も本についての純粋に語ろうかなと思ったわけですが、これはノリで書いてるので少々の乱暴な発言はお許しください。
さて今回語ることはずばり「何故本を読む人と読まない人がいるのか!」
俺らみたいな本好きからしたら本を読まない人の方がおかしいだろと思うわけだが、批判してても始まらないので、何故読まないのかを考えてみよう。
実際読まない友人にメールで聞いてみたところ、「読まない」のではなく「読めない」らしい。
Aならそれはなぜか? Q厭きるから らしい。
なら何故厭きるのか。それは想像できないからだと思う。
この前本好きの方と喋っている時にも出てきたけど、本好きの方は読んでる時に、まるでその映像があるかのように想像して読んでるはず(違ったらすまん…orz)。
だけど読まない人たちにはそれができないと。
そりゃ読んでてもつまらんよな。言ってしまえば文字が並んでるだから何だから。
遠子先輩風に言ったら「数字とか意味を持たないものを食べても、味はしないわ。」(うろ覚え)って感じだね。
じゃぁ何故想像できないんだろう。
逆に何故俺らは想像できるんだろう。
もともとの才能とかだったら、やめないほとがあまりに不憫なので、何故俺らは想像できるかということを考えていこう。
最初に考えたのは、想像っての自分の今まで見聞きしたものが大半なのだから、想像できない人はあまり外に出ないインドア派なのかと思ったけど、よく考えたら本ばッか読んでる俺らの方がインドア派な訳だから、この考えは却下。
…って待てよ。それ少し年をとってからの話だから、赤ちゃんの時の話だったらどうであろうか。
たった今母に聞いたところ、自分は赤ちゃんの頃よく外に出ていたらしい。
赤ちゃんの頃から、小学生になるまでは感受性が高いというし、
「それまでにいかに外に出ていて、いろんなものを見聞きしたのか」
ということが大事なのだろか。
ならばテレビはどうなのだろうか。
幼少期のテレビをいすぎは体悪いというが、昔からテレビを見ていた子供は想像することができるのであろうか。
俺は昔からテレビは好きだったはずだし、多分このことも関係してくるであろう。
「やはり直接的にしろ、間接的にしろ、昔からよく外の世界に触れることが大事なのであろう。」
…いやでも幼稚園の頃にはみんなそと出て遊んでるよな…。
いやでも確か俺幼稚園のときよく・・・
これ以上はかなり長くなるのでここまで!逆に次回がかなり長くなるかもしれないけどな!
そういうわけで今回はここまで。
次回に続く!
