たぶんわかりました

序:YOU ARE (NOT) ALONE.
破:YOU CAN (NOT) ADVANCE.
Q:YOU CAN (NOT) REDO

あなたは孤独である(ない)
あなたは前に進める(ない)
あなたはやりなおせる(ない)

これらはサブタイトルが、エヴァの登場人物達。そしてエヴァファンに。そして庵野監督自身に問いかけてきた言葉だった

シンエヴァにて、それらはすべてnotを含まない肯定的な言葉として三者を祝福し
前に進むための後押しをした

序〜Qはエヴァからの脱却を図るための壮大な前振りだったのかもしれない


そういえば、Twitterでは軒並みシンエヴァが大絶賛であるのは
Twitterなどのsnsは人類補完の為の装置の役割をもっていたからだろうな、と

もうとっくの昔に、現代に生きる我々はsnsにより補完されていた
snsは自己と他者の境界を曖昧にして、自己の人格を社会の集合無意識と同化させる装置である

今の若い世代ほどsnsを利用する傾向にあるから、エヴァが説く人類の孤独を埋めるための補完という概念はむしろ理解しやすいだろう

旧劇と新劇とでは全く社会の環境は異なるようになった
旧劇の頃なら、深く突き刺さるだろうシンエヴァのゲンドウの「他人が怖い」という
庵野監督と、そしてファンの心ともシンクロさせた本心の吐き出しも

snsで人類補完とは何かを概念的に理解した今の人類は、本能的にすでに知っている人が多いだろうなと

序や破の放映時期のころはまだそこまでsnsは普及していなかったから、まだ革新的なテーマなりえたが
シンエヴァの時代ともなると普遍的なテーマになりすぎてしまって
エヴァが持っていた前衛的な主張が薄れてしまった傾向はある

しかしそのおかげで、エヴァが持つテーマが多くの人にわかりやすいテーマとして伝わる土壌は形成された


曰く、snsとは毒入りの聖杯とも呼称された
人類の意識を変革させたオーパーツであるとしみじみ思う







シンエヴァの伏線でもあった

庵野監督にとってシンジは自分自身を投影したキャラクターだというのは有名な話ですが
シンエヴァは庵野監督自身にとっても一つの集大成であり行き着いたゴール

ネット上では、マリは奥さんのモヨコ氏を投影した説が支持を得ています

庵野監督は自分の思いや覚悟をインタビューなどでは語らずに、製作した作品で語ろうとする
昔ながらの職人気質ですが、シンエヴァのパンフレットの冒頭に少しだけ庵野監督の心情が吐露されています

文の最後に、公私ともに支えてくれた妻への感謝があります

個人的には、マリの役割=庵野監督自身という骨子は変わりませんが
そこに何割か、妻のモヨコさんの存在も重ねていたのだと思います