いつもの藤原竜也で安心するドラマ

この人の舞台劇のような演技力は好きです
カイジ、デスノートと叫ばせたり狂わせたりする演技に定評のある安心と信頼の藤原竜也

今回はクールな達観系竜也なのであまり発狂演技はなさそう


内容は、真正面からどこまでも正しさを突きつける教育ドラマ
守るだけが教育ではない


正しすぎる正義を突きつけることで恐怖の女王として君臨した「女王の教室」に通じる教育論

実際の教育現場で果たしてそれが許されるのか?についての疑問はさておき

藤原竜也の教育と女性教師の教育、どちらが正しかったかは最後に自分から逮捕される事を希望した女生徒を見れば明らか

いや、違う
この話に明確な「正しさ」なんて議論は成立しない
女性教師ももちろん正しい
藤原竜也の正しさと女性教師の正しさ、そのどちらが女生徒の心に響いたか?が論点


でも、これはフィクションだからこそ成立する教育であり
実際に藤原竜也と同じことをすればsnsに生徒の現行犯逮捕をしたシーンを晒された時点で詰みます


自粛警察
のように〜〜警察がネットには多すぎる

暴走した、正義の名の下に。という行動はブレーキが効かなくなり
〜〜警察による「正しき行い」への周囲からの称賛は暴走をさらに加速させる


これの厄介な所は、自分がやり過ぎた正義を行っている事に気付けないところ


第三者視点で自らの異常なまでの正義活動を俯瞰して眺めてみて、初めて異常性に気づく


アメリカの著名人の誰だったかが、snsは毒入りの聖杯だと例えたが
まさしく、人類には早過ぎた殺人兵器がsns

時には国家間同士の戦争の火種にも成りかねないsns

引き金を引いた事に気付けないままに、たった一つの発信で人を殺しうる危うさ


そろそろ、人類は次の段階に成長すべきであるのに
なかなか進歩しないのは、人が本質的に悪だからなのだろうな、とsnsで理解させられる

ルールや道徳観という鎖で縛らないと人は他者に悪を撒き散らす

教育という膜で人間を包み込んだところで、snsではその膜は脱ぎ捨てられるために簡単に悪に走る


統計によると、晒し行為を行う人間は高学歴が多い

最近の社会で、ここまでsns利用による名誉毀損で自殺者が出ている昨今
未だ、改善の兆しが見られないのは

もうこれは人類が教育される事は不可能なんだろうな、とは常日頃思います



snsの闇を描いたドラマ「三年A組」
人の野生を描いた漫画「なれの果ての僕ら」
がこの手の題材のお話でオススメです

三年A組は傑作ですが、なれの果ての僕らは不人気なために週刊連載からは打ち切られましたが

個人的には、なれの果ての僕らは好きです


題材とやりたい事の趣旨は好きですが、見せ方に難があるから打ち切られた感は有ります