エミヤと衛宮士郎は無限の剣製

文字通り、無限に剣を内包した世界を作り出すことこそが最大の能力だけど

村正の無元の剣製は究極の一刀を生み出す為の剣製であるのが味わい深い


さながら、この二つの剣製はFGO1.5章の下総の佐々木小次郎対武蔵の戦いに似ている

佐々木小次郎の剣技は自身の伝承、燕返しに由来する無限の太刀筋を武器とする
対して、武蔵は死会において先の先(せんのせん)を読み敵を斃す為のただ一つの斬撃を手繰り寄せる戦い方

仏教は詳しくないけど、宝具演出にも由来しているように武蔵の心の在り方は「色即是空」

無の先の有を掴む
空の境界に近い価値観


型月作品、というか奈須きのこさんはとりわけ万能よりも、他に何も取り柄は無いがある部分においてのみ他の追随を許さない絶大な能力を有する


究極の一(アルティメット・ワン)という考え方を好む



なんだか型月作品について感想の文章を書くと急に中二病全開になってしまう
型月自体が中二病の塊だから、それに触れると中二病になるのはたぶん道理なんだろう



最近はバトル漫画だと先の先(せんのせん)という概念が割といろいろなところで見かける

一番、この概念を取り入れていたのはケンガンアシュラだろう

刃牙でも10年以上前くらいからたまに見かけていた

くしくも武蔵を相手する刃牙道でも刃牙対武蔵で先の先の概念が用いられていた



そもそも、真面目に考察すると「空(くう)」に至るとはなんぞや
という迷路に陥るから

こういう概念、価値観は考えるな、感じろ

でいくしかない



話がかなり脱線したので無限の剣製と無元の剣製は、その能力が対極にあるのは面白いな
ということ


無限の剣製の煽り文句が「いくぞ英雄王。ーーー武器の貯蔵は十分か?」

に対して

無元の剣製の煽り文句は

……其に至るは数多の研鑽。 
千の刀、万の刀の象(かたちど)り、築きに築いた刀塚。 
此処に辿るはあらゆる収斂(しゅうれん)。 
此処に示すはあらゆる宿願。 
此処に積もるはあらゆる非業。 
我が人生の全ては、この一振りに至るために。 


無限の(文字通りの)剣製の果てに辿り着いた究極の一刀
最強の村正を喰らいやがれ!って意匠なのが


なんだかすごくいい