子ヤギの絵本のくだりで途中で涙で文字が滲んで読めなくなった
もの凄くいい話です…
2章の方にこの絵本を入れて欲しかった
アニメや映画やドラマや漫画やゲームを見て涙ぐむ事はよくあります
それでも本当に涙を流すとなると一気に少なくなる
最近娯楽作品で泣いたものはといえば
ゆゆゆ以降ではプラスティックメモリーズ1話とMGSVのゼロのカセットテープくらいしかありません
そもそも自分はあんまり涙を流す人間ではないし
それでも銀色の記憶は途中から涙で読めなくなってしまいました
なんでオオカミを根性で追い払ったわんぱくさんのようにめでたしめでたしにならなかったのか…
3人じゃないといけない。誰かが居なくなったらダメなんだと
相変わらずBD2章は辛くてあまり見返そうという気持ちにはなかなかなりにくい
たぶん映画館で見ている人も泣くというよりは辛さが勝り、目を背けたい。放映後葬式後みたいな面持ちな人がほとんどだと思います
目指せ号泣上映!という話もありますが
普通に上映中に涙を流せるのはたぶん、3章と3章と同時放映の所属になると思います。所属は旅館の話みたい
アニメや漫画、小説を見て泣けるって素晴らしい
ファン目線でバイアスがかかりまくった意見ではありますが勇者であるは本当に素晴らしい作品です
因みにアニメで明確に人の死の描写を扱った勇者であるシリーズはわすゆが初めて
のわゆでもたくさん人は死にますが、そこにはアニメと小説という媒体の差がある
アニメなどの映像作品って造り手のイメージがダイレクトに視聴者に飛んできますからね
今回の銀散華はマイルドに描写しようとすればいくらでもマイルドに描写できた
欠損描写はせず、出血も抑えて、カット割りを気にして致命傷ダメージを喰らう絵を見せなくしたり
でもあえてマイルドにはせずにハードにしてきた。ダメージ描写も徹底的にリアルを追求
裂傷が攻撃を防いだ時に更に傷が開いて出血したり。因みにここの場面が一番リアルの追求として凄いと思った
勇者であるはリアルを追求する作品ですが、ここまで妥協しないのかと
その物理演算で考えるなら多分銀の右腕は射手座に貫かれた後も無理やり動かして攻撃していたからその反動でちぎれ飛んだんだと思うんですよね…
徹底的にリアルに描くから、グロ描写までリアルに想像してしまって気分が悪くなってしまう
これがブラッドCみたいにギャグレベルに突き抜けたグロなら逆にグロくないんですけどね
加えて映像作品の勇者であるシリーズで初めて勇者の死が描かれた
これが一番堪える
声優、絵、BGMなどの破壊力
のわゆでもたくさん人は死にます
ですが媒体は小説
小説とは作者の文章が文字として読み手に取り込まれる
読み手は取り込んだ文章を自分の中で再構築してイメージを作り、そのイメージを味わう
つまりダイレクトにメッセージは届き辛く、作者のメッセージは自分の中の人間性や方向性もブレンドされて届く
何が言いたいかというとのわゆのグロ描写はそれが辛ければいくらでも自分というバイアスをかけてマイルドにできる
例えば杏タマの散華
致命傷はスコーピオンの針による貫通傷
杏は胸を、タマは腹に穴を開けられる
その穴の直径は?
悲惨なモノが嫌なら自分の中で針の先端に貫かれただけと設定してまだ助かるような直径をイメージしたらいい
毒による出血で全身の穴という穴から出血
その出血量もいわば読み手のイメージ次第
文章表現は見なかった事にも出来るし解釈次第でどうとでもなる
グロイメージにある程度方向性を持たせるためにBUNBUNさんは杏タマ散華の挿絵を描いてましたが
アレもハードとマイルドの2パターンが用意されて結局はマイルドで抑えられたみたいですね
要はアニメだとグロ描写が直接視聴者に伝わる
勇者であるシリーズはリアル感もウリにした作品なので、グロの生々しさも一層伝わる。そこが辛い
でも、そのグロを一切の妥協をせず描くからこそ
銀が守った日常。わっしーと園子様の尊さが引き立つ
以前、新日常系アニメは作風として得なアニメだと書きました
日常系アニメは面白さの幅が1〜100までしか表現できないとすると
新日常系アニメは非日常を描く事で数字の絶対値を-1〜-100まで描く事が出来る
面白さと書くと語弊がある。感情の振り幅に訂正
つまり勇者であるは感情の振り幅を-100から100まで201段階で描く事が出来る
簡単に要約すると非日常があるからこそ日常の何気ない瞬間がかけがえのないモノへと感じる事ができる
人間は比較でしか物事を評価できない生き物
ゆゆゆ12話での友奈帰還があそこまで感動的だったのは視聴者の感情の振り幅が-100から一気に100まで作品に誘導されたからである
ここまで銀の死をグロく扱ったのは勇者であるはシリーズ全体のバランスを考えての事もあると思う
ゆゆゆ一期だけだと御都合主義、茶番と野次る層もいる
そのような価値観の人にわすゆ4話はバランスメーカーになりうる
加えて、勇者の章が御都合主義展開の嵐かもしれない
それに対しての4話の銀の死は大変効く
勇者の章がどんな話になるかは全くわからない
もしかしたら目も当てられない悲劇的な話になるかもしれない
それでも何があっても付いて行くよお姉ちゃん、と樹みたいな気持ちで勇者の章には大きく期待
因みに希望的観測踏まえた予想では勇者の章で勇者部の物理的散華は無いと思っているしそう願いたいです
もの凄くいい話です…
2章の方にこの絵本を入れて欲しかった
アニメや映画やドラマや漫画やゲームを見て涙ぐむ事はよくあります
それでも本当に涙を流すとなると一気に少なくなる
最近娯楽作品で泣いたものはといえば
ゆゆゆ以降ではプラスティックメモリーズ1話とMGSVのゼロのカセットテープくらいしかありません
そもそも自分はあんまり涙を流す人間ではないし
それでも銀色の記憶は途中から涙で読めなくなってしまいました
なんでオオカミを根性で追い払ったわんぱくさんのようにめでたしめでたしにならなかったのか…
3人じゃないといけない。誰かが居なくなったらダメなんだと
相変わらずBD2章は辛くてあまり見返そうという気持ちにはなかなかなりにくい
たぶん映画館で見ている人も泣くというよりは辛さが勝り、目を背けたい。放映後葬式後みたいな面持ちな人がほとんどだと思います
目指せ号泣上映!という話もありますが
普通に上映中に涙を流せるのはたぶん、3章と3章と同時放映の所属になると思います。所属は旅館の話みたい
アニメや漫画、小説を見て泣けるって素晴らしい
ファン目線でバイアスがかかりまくった意見ではありますが勇者であるは本当に素晴らしい作品です
因みにアニメで明確に人の死の描写を扱った勇者であるシリーズはわすゆが初めて
のわゆでもたくさん人は死にますが、そこにはアニメと小説という媒体の差がある
アニメなどの映像作品って造り手のイメージがダイレクトに視聴者に飛んできますからね
今回の銀散華はマイルドに描写しようとすればいくらでもマイルドに描写できた
欠損描写はせず、出血も抑えて、カット割りを気にして致命傷ダメージを喰らう絵を見せなくしたり
でもあえてマイルドにはせずにハードにしてきた。ダメージ描写も徹底的にリアルを追求
裂傷が攻撃を防いだ時に更に傷が開いて出血したり。因みにここの場面が一番リアルの追求として凄いと思った
勇者であるはリアルを追求する作品ですが、ここまで妥協しないのかと
その物理演算で考えるなら多分銀の右腕は射手座に貫かれた後も無理やり動かして攻撃していたからその反動でちぎれ飛んだんだと思うんですよね…
徹底的にリアルに描くから、グロ描写までリアルに想像してしまって気分が悪くなってしまう
これがブラッドCみたいにギャグレベルに突き抜けたグロなら逆にグロくないんですけどね
加えて映像作品の勇者であるシリーズで初めて勇者の死が描かれた
これが一番堪える
声優、絵、BGMなどの破壊力
のわゆでもたくさん人は死にます
ですが媒体は小説
小説とは作者の文章が文字として読み手に取り込まれる
読み手は取り込んだ文章を自分の中で再構築してイメージを作り、そのイメージを味わう
つまりダイレクトにメッセージは届き辛く、作者のメッセージは自分の中の人間性や方向性もブレンドされて届く
何が言いたいかというとのわゆのグロ描写はそれが辛ければいくらでも自分というバイアスをかけてマイルドにできる
例えば杏タマの散華
致命傷はスコーピオンの針による貫通傷
杏は胸を、タマは腹に穴を開けられる
その穴の直径は?
悲惨なモノが嫌なら自分の中で針の先端に貫かれただけと設定してまだ助かるような直径をイメージしたらいい
毒による出血で全身の穴という穴から出血
その出血量もいわば読み手のイメージ次第
文章表現は見なかった事にも出来るし解釈次第でどうとでもなる
グロイメージにある程度方向性を持たせるためにBUNBUNさんは杏タマ散華の挿絵を描いてましたが
アレもハードとマイルドの2パターンが用意されて結局はマイルドで抑えられたみたいですね
要はアニメだとグロ描写が直接視聴者に伝わる
勇者であるシリーズはリアル感もウリにした作品なので、グロの生々しさも一層伝わる。そこが辛い
でも、そのグロを一切の妥協をせず描くからこそ
銀が守った日常。わっしーと園子様の尊さが引き立つ
以前、新日常系アニメは作風として得なアニメだと書きました
日常系アニメは面白さの幅が1〜100までしか表現できないとすると
新日常系アニメは非日常を描く事で数字の絶対値を-1〜-100まで描く事が出来る
面白さと書くと語弊がある。感情の振り幅に訂正
つまり勇者であるは感情の振り幅を-100から100まで201段階で描く事が出来る
簡単に要約すると非日常があるからこそ日常の何気ない瞬間がかけがえのないモノへと感じる事ができる
人間は比較でしか物事を評価できない生き物
ゆゆゆ12話での友奈帰還があそこまで感動的だったのは視聴者の感情の振り幅が-100から一気に100まで作品に誘導されたからである
ここまで銀の死をグロく扱ったのは勇者であるはシリーズ全体のバランスを考えての事もあると思う
ゆゆゆ一期だけだと御都合主義、茶番と野次る層もいる
そのような価値観の人にわすゆ4話はバランスメーカーになりうる
加えて、勇者の章が御都合主義展開の嵐かもしれない
それに対しての4話の銀の死は大変効く
勇者の章がどんな話になるかは全くわからない
もしかしたら目も当てられない悲劇的な話になるかもしれない
それでも何があっても付いて行くよお姉ちゃん、と樹みたいな気持ちで勇者の章には大きく期待
因みに希望的観測踏まえた予想では勇者の章で勇者部の物理的散華は無いと思っているしそう願いたいです