今の自分があるのは | アウトドア仕様インドア人間の生態

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道具は一流(`・ω・´)メンタル二流(´ε`;)からだは三流コイ℃です(´・ω・`)気持ちはかなりのインドア大好きですが、リアルではキャンプ・登山とかBBQとかしちゃっているアウトドア仕様インドア人間です。

前回の記事からの流れで宿泊講座のことを載せる予定でしたが大きなことがあったのでここに書きます。


正直かなりプライベートなことです。

ただ大きな声で叫んだり我を忘れることも出来ないので書きます。

まぁ亡くなった日はガキみたいに泣いてしまいましたが…


6月13日今の自分をつくってくれたきっかけを与えてくれた方が亡くなりました。

自分のいっている団体の評議員でありリーダーの先生です。

だから呼び方は『クマさん』とか『先生』って感じで呼んでいました。


リーダーの話でも書いたのですが自分はある青少年育成団体のリーダーであり元参加者でした。

小学校3・4年生の時には鹿児島最南端の島での交流事業

中学3年生の時には海外時事業でネパールに行きました。


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その事業の時にいつもいたのがクマさん(先生)というおじさんでした。

ヒゲもじゃハゲ頭なあやしいおじさん。

小学生の頃はそんな印象。

しかし4年生以降はそこに行かなくなりました。


中学生になり部活とかしながら平々凡々暮らしていた自分でしたが学校関係で色々ありちょっとした暴走状態に…

結構荒れていました(´Д`;)。

そんな時小学校の時に行った団体の事業案内が…アメリカやヨーロッパにはなんにも惹かれなかったですが、ネパールという響きに惹かれて参加。

引率リーダーや事務局員の方はみな初対面。

結構とがっていたのでかなり横柄でした。

ネパールに到着後現地で再会したのがクマさんでした。

ネパール帽かぶっていてヒゲ面ちょっとふくよかになった感じがしましたがあの時のあやしいおっちゃんのまま

べつに小学生の頃の自分を覚えていたわけではないと思います、でもやたらに絡んでくる。

そして『コイ℃やってみろぉ~』的な感じで無茶振り。

『おっさんウゼーーー』って心で思いながらもそんなに嫌じゃない。

むしろわかったわかったやるっすよってな感じでもやってしまう。

本当に不思議なおっちゃんでした。


それのお陰か少し更生して、またまた平々凡々にもどりそこと離れていたんですけど、20歳の頃に四谷に用事で行った際

『そういやネパールの時の団体の事務局ここにあるな、ちょっと行ってみようかな』

なんて思って事務所にいきなり訪ねてみると

いたんです。

あの、おっちゃんが…そうクマさんがいたんです。

それも俺が自分の名前を言う前に

『おぉ~コイ℃~(実際は苗字)!!』

え、って感じでしたね、5年ぶりですよ。

なんで覚えてるんだよって嬉しさと恥ずかしさが一緒になった感じがしました。

他にもその時に一緒に行っていた事務局長もおられ事務局長も覚えていてくれました…

なんかこっ恥ずかしいことを言われながらも嬉しかったことを覚えています。


そこからです、全くボランティアなんて興味のなかった自分がそこの手伝いをするようになりました。

訪ねた時に『時間合ったら事業こないか?』って言って下さり

実際はやる気があまりなかったのですけど社交辞令として

『是非呼んでください』って答えたら

3日後に 『コイ℃、春事業にこないか!?』

え!?

なに!?

急すぎる…でも小学生の時に参加した企画…久しぶりだけど行ってみたいってことで行きました。


しかし現実は甘くない。


周りは経験者や講座を受講してきた実習生…自分の力のなさを実感……

しかしクマさんそして周りの皆さんに助けていただきすごく楽しい経験をさせてもらいました。

その後も暇な時に事務局いったりしていたんですけど、またまた大事件。

海外引率のリーダーが中高生は自信がないってことを電話で話していたんです。

自分はクマさんと話していて

『なに中高生にビビってるんすかね』

なんて言っていたらクマさんが

『そうか、コイ℃お前行け!!』


!?


ん、!?


なんていったジジイ!?


って心で思いましたね…

でも調子付いた発言を取り消すのは男として恥ずかしい。

『いいすよぉぉ(裏返った感じで)』

って感じで中高生の海外派遣のリーダーになってしまいました。

怪我人とかはださなかったのですが結構問題を起こしてしまいました。

そして怒られもしました…でも全否定はされなかったんです。

クマさんは怒ることはあっても一度だけウジウジ言い続けるなんてことなく、むしろ俺の良いとこを周りに言ったりしてくれてました。

そんなクマさんに恩返ししたいっていうとたいそうな感じですが成長した自分を見せたくリーダー講座にでてリーダーになりました。


それとクマさんは人との沢山の繋がりも自分にくれました。

いきなり呼ばれていった初めての事業の時、知り合いなんて一人もいません。

同じ仕事(スキルリーダー)をする先輩方に助けられました。

しかしすごく仲が良いとかではなく先輩として尊敬って感じです。

そんな中クマさんはある女性リーダーに

『コイ℃のことよろしく頼むな!!』

って言ったんです。

その女性リーダーほとんど自分のこと知らないのにです。

その女性もその本人がいない状況だったので心の中で 『 コイ℃って誰? 』 って感じだったらしいです。

でも今はその女性リーダーは自分にとっては本当の姉さん的な人になっています。

尊敬もしているし相談も出来る気兼ねなく話せます。

旦那さんや子供達とも付き合いがある仲になりました。(カヌーやキャンプに行ったり鍋会したりとか)

実は先生が亡くなる前にその姉さんと一緒にお見舞いに行ったんです。

そんな危ない状況とは言われていなかったのですが姉さんに話したら

『早く行こう、明日とかどう?』ってな感じに

急だったので他に誘うことは出来なかったのですが、先生(クマさん)のお見舞いにいきました。

痩せてらっしゃったんですけど気持ち的にはすごく元気で…沢山話しました…しかし、いまとなっては全然足りないのですが…

でも最後の最後に後悔ないように逢えているんです。

後悔はあるけど、もし逢っていなかったら一生の悔いになったと思う…

スゴイんすよクマさん(先生)は

人と人をつなげることまで出来ちゃうんです。


リーダーになって大分経ちますが先輩達には全然足元にも及ばないし欠点だらけなリーダーです。

そんな出来の悪い自分のことかわいがってくれました。

自分と同じ年で期は違うのですが仲の良い友達でありリーダーな奴がいます。

彼は出来の良い息子です、そしてすごく可愛がられていました

でも先生は出来の悪い自分も同じようかわいがってくれました

何かがあれば『コイ℃はなぁ~コイ℃がなぁ』

って言ってこっ恥ずかしい思いいつもさせられていました。

でも嫌じゃなかった…むしろ嬉しかったよ

先生がずっとそうやって言ってくれるなら出来が悪くてよかったと思ったくらいです


リーダーになっても沢山怒られたし、無茶振りしてきてややギレしつつもやったり、一緒に酒飲んだり、時にはすごい年上なのに口論もしました。

自分の知らないことを沢山教えてくれました。

いろんな人との出逢いもくれました。


身内のみの家族葬らしく最後にお別れという形で逢ってきました。

かなり上の先輩から声をかけたら来てくれた後輩そして大学生になった参加者

思った以上にたくさんの人が来ていました。

先生が遺したものってのはモノとか形あるものではなくヒトとのつながりだったんだと


これから自分に出来ることは何かと言われたら明確なものはないです。

あまりにも大きすぎる人だから

でも先生の気持ちや意識は忘れないこと、そして懐古主義とか言われたりするかもしれないけど先生が残してくれた気持ちや方向性を残していきたい。

今年の夏もいくつかの事業にボランティアで参加します。

これからは今以上に意識を持ってやっていきます。


今回はかなりプライベートで暗い話でしたが次からは切り替えていつもの自分でいきます。