開戦の詔勅。 | アメブロには影響力がやや有る。

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1941年、昭和十六年十二月八日未明。

ハワイ時間七日早朝、我が日本軍はハワイ真珠湾に空から奇襲攻撃を敢行した。

この真珠湾奇襲作戦は攻撃の数年前から立案されていたようであるが、実際にやってみると海が予想外に浅く、真珠湾停泊中のアメリカの軍艦を海底深く沈めることが出来ずアメリカに対して大して損害を与えることが出来なかったらしい。

この突然の奇襲攻撃にとち狂ったアメリカはその後猛然と反撃に出た。

この戦争に先立ち昭和天皇は国民に対して開戦の詔勅(聖戦の詔勅)を発した。

そこには大雑把に言うと、この戦争は止むにやまれぬ自存自衛の為の戦争であるとあったが、実はこの聖戦の詔勅は先の大戦だけでなく、明治の日清戦争、日ロ戦争、その他の国との戦争の際にも天皇は開戦の詔勅なる文書を発した。

とにかく、日本の天皇は何かにつけて「詔勅」が好きなお方である。

この時の詔勅は、天皇のお言葉を印刷した紙が各官庁に配られ、その後ラジオ、新聞などで国民に知らされることになったようであるが、しかしその時の開戦の詔勅は終戦時天皇自らの生の声で発した終戦の詔勅(玉音放送)とはえらい違いである。

何百万人もの大量の犠牲者を出した太平洋戦争は真珠湾攻撃のあと四年続いた。

 

イッツ・ビーン・ア・ロング、ロングタイム

この歌は長かった太平洋戦争が終結し、戦地に赴いた家族、恋人達の帰還を待ちわびる女達の心情を歌った歌である。

トランペット ハリー・ジェームス