この19年間で私が観た韓国ドラマの本数はとても数え切れません。最初は日本で観られるドラマはTVでもネットでもすべて観て、どの作品にも感動していた記憶があります。ただ、「愛の不時着」で配信ドラマが爆発的にヒットしてから、日本でも韓国と同時配信、しかも放送直後に観られるという画期的なシステムができて、幸運なことに私にもそういうドラマを翻訳する機会が増えました。

 

お仕事にしても趣味にしても、とにかく毎日、韓国ドラマに接してきたわけですが

やはり何といっても(韓国語では「モニモニヘド」といいます。なんか「へのへのもへじ」みたいで可愛いですよねウインク)配信されたドラマの中で

私が一番感動し、一番多く繰り返し観たのは「賢い医師生活」です。

(写真はHPより)

 

恐らく、このドラマが好きな理由は自分の個人的な事情ですが、大病をして病院の先生にひどい扱いを受けた直後だったのと、今まで人よりもちょっとたくさん病気をしてきた経験からだと思います。

具体的にどこが好きか、というお話の前に、今日はそのきっかけとなった私の体験談を書いてみるので、興味のない方はすっ飛ばしてくださいね。(絶対長くなるので)

 

今の私をご存じの方は信じられないと思いますが、実は私、病弱だったんです。

3歳で小児喘息を患い、3歳から小学校の間、毎週1回、病院で注射を打ってました。(多分、抗アレルギーの注射?)小学校でもしょっちゅう体育は見学、友達にも「喘息さん」と呼ばれてました。よく発作も起こしていたので、おかげで

一番仲が良かった先生は、保健室の田口先生でした。

でも、自分が病気がちだからか保健委員をやりたくて、いつもかばんには応急セット(オキシドールと赤チン、絆創膏)を常備し、ケガした子の手当てをしたり授業中に具合の悪くなった子を(なぜか小学生って必ず具合が悪くなる子がいますよね。)保健室に連れていく役目でした。

 

結局、小児喘息は治らず大人になってからも、たまに発作を起こしてたのですが

30歳の時、仕事をバリバリして毎日睡眠3時間くらいの日々を送っていたころ、

ついに大発作を起こして救急車で運ばれ、呼吸停止でチアノーゼにまでなりました。

親はお医者さんに「あと5分遅かったら死んでた」と言われたそうです。

 

救急車に乗るまでもちろん本人は呼吸ができず死ぬほど苦しかったのですが、人間、命の危険が迫ると意識がなくなるらしいので、呼吸が止まった時は覚えてません。(顔をゆがめて「苦しい!」と言ってたらしいですが、記憶にないんです)

なので、究極の瞬間は苦しくないため、すべての処置を終えて息を吹き返した時の第一声は「喉乾いた~」でした。さすがに、まだ苦しくてまともにしゃべれず、トイレにも行けませんでしたが、少し元気になるとこう思ったのです!!

やったびっくりマーク入院して点滴の棒を持って廊下を歩くという夢がかなった!」と。

よく、ドラマでも出てくるじゃないですか。なぜか、私はその光景を体験してみたかったんですよね。(変ですかね?←変だ!)

 

正直、私は病院が嫌いではありません。子供の頃から通いなれていたこともあり、

病院に行くとみんな優しいし、なんか見るもの全てが新しくワクワクするのです。

それから9年後、今度は乳がんになった時も、実感がないせいか別にそれほどショックでもなかったんです(初期だったのもありますが)。むしろ生まれて初めて手術を受け、50日間、放射線を毎日受けましたが、手術室に入るのも楽しくてキョロキョロしていたし、放射線を当てる部分をマジックで線を引かれるのも面白かったです。約2ヵ月入院したあと、約3カ月ほど抗がん剤を打ちに通ったのですが、その状況をどこかで楽しんでいる自分がいました。(副作用の味覚障害だけは楽しくなかったですけど)

 

でも同じ部屋に入院していたやはり初期の女性は「なぜ私がガンなんかにならなきゃいけないの?私が何をしたっていうの?」と取り乱していました。その女性には優しい旦那さんも子供もいるのに、なぜそんなに悲観的なんだろうと思って見てました。同じ部屋には末期の患者さんもいて仲良くなったのですが、彼女のほうがずっと冷静に自分の病気と向き合っているように感じました。

そのほかにも、長い入院生活で友達になった子が、入退院を繰り返し亡くなっていくという現実を目の当たりにもしました。本当に、外科病棟と言うのは生と死が隣り合わせなんです。

 

それでも私はこう思ってました。

まあ、病気になったんだから受け入れるしかない。

それに今私は貴重な体験をしているんだ、と。

 

そういえば、子供の頃から人と同じことができなくて、1人で先生と別行動をしたりしてましたが、その状況を「なぜ私だけ?」とか思ったことがないんですよ。

「私は病気だから仕方ない」。大阪万博に私は発作を起こすと困るからと、父が兄だけ連れていった時も「仕方ない」。そうやって自然と受け入れてきた気がします。

 

そして今から5年前、何気なく生まれて初めて人間ドックを受けてみようと思い、検査をしたら乳腺と甲状腺と肺に影がある、と。

あちゃ~、3点セットかい!!

結局、甲状腺は問題がなく、乳腺はまたしても初期の乳がん(しかも18年前と同じトリプルネガティブというタチの悪いヤツ)、肺も悪性の可能性が高いと言われ、生検のための手術(といっても、ほぼ肺がんの腫瘍除去と同じ手術)をすることに。

 

この時も、父と兄が早くに他界したため唯一の家族だった母が、すでに足が不自由だったので、1人で説明を聞き検査をして手術を受けました。

肺は初めてだったので、さすがにちょっと不安もありました。肺がんの生存率は乳がんよりずっと低いですからね。それに、喘息持ちなのでいろいろと厄介で、手術後はICUに入れられて、その日と退院後も1か月くらいは苦しかったですね~。それでも、病院では「これがICUか~」とキョロキョロしてましたけど笑

でも結局、肺の腫瘍は良性で事なきを得て、乳がんの治療だけ始めました。

そうだ、「賢い医師生活」でも出てきますが、おもちゃみたいな道具を口にくわえ、ボールを一定の位置まで押しあげる呼吸器の訓練もやりましたよ~。あれが意外と難しいんです。息を吐くんじゃなくて吸うんですから。

 

そんな私でも、この後の乳がんの抗がん剤は地獄でしたね。。。

18年前に使っていた弱い薬はもう使用していないようで、無条件に髪が全部抜けて、手足がしびれるという、いわゆる「ザ・抗がん剤」でした。

吐き気はいい薬があるので、それほどつらくなかったですが、味覚障害と私の場合は口内炎に苦しみました。口内炎って1つでも痛いのに、口の中じゅうに何十個もできるのです。もう水すらしみて飲めません。仕方なく、ゼリー状の経口補水液やジュースを喉の奥までストローを押し込み、喉から直接飲むという…

そして39度の熱が続いているのに、病院に電話しても「救急ではなく外来に来い」「家が遠いからわざわざ来なくても、近くの医者に行け」と言われ、

この時ばかりは毎日1人で泣いてました。

 

まあ、結局は抗生剤をもらって熱を下げましたが、後半の抗がん剤は別の病院で受けました。それも現在の病院のルールでは、手術をした病院以外では抗がん剤治療を受けることができず、私は親戚のお医者さんを頼って何とか聖路加で診てもらえました…。こんな健康そうな私でも白血球が1000を切るくらい免疫力が落ちてしまうのですから、抗がん剤は本当に恐るべしです。これは決して楽しくありませんびっくりマーク

でも1年遅れてたら、コロナとかぶっていたのでそういう意味では本当にラッキーでした。コロナ時期に抗がん剤治療を受けた方がいらしたら、本当に大変でしたね。よく頑張りましたね!と言ってあげたいです。

 

そして「賢い医師生活」が配信されたのは、私の治療が終わった翌年だったため

私が今までの入院生活や手術で耳にした専門用語が出てきたり、ひどい医者に当たってしまったあとだったので、「私もユルジェ病院で診てもらいたかった!!」と切に思ったわけです。

 

前に、ブログでみんな一度は留学すべきだと書きましたが、

それと同じくらい、みんな一度は入院してみるべきだ!と言いたいです。

病院には病気の人しかいないので、みんなお互いをいたわるようになり、

人に対して優しくなれるんです。

(たまに患者&医者&看護師でも例外はありますが)

そして、当たり前にできていたことができなくなるので、いかに健康がありがたいかも実感します。

 

それから、いくつもの病院を見てきましたが残念なお知らせです。

ユルジェ病院のような病院も、99'sのような先生も絶対に存在しませんびっくりマーク

 

みんながあのような病院を望み、あのような先生方を求めているからこそ

あのドラマが大ヒットしたような気がします。

 

では、次回は私が特に感動した(あるいは笑った)シーンについて

書いてみますね。

 

あ、そうそう!シン・ウォノ監督がスピンオフ作品を準備中で、新人をオーディションしているという話が聞こえてきますが、あの99'sは登場するのでしょうか。

あの5人+ジェハク+ギョウル+ミナ+ポン先生+ソン看護師長が出ないなんてあり得ませんからね~~!!お願いしますよ~!!

 

それではまた。長々と読んでくださり感謝いたします。

 

 

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