(昨日の続き)
中曽根元総理が到着され、拍手でお迎え。
早速に集合写真の撮影。180人もの人の為、
2階からの撮影で、非常に小さい写真。
剃髪の頭)
次に主催者あいさつ。
森高(愛媛県元系議会議長)さんで、
彼は、顧問の葬儀の時の司会者。
毎年2月に沖縄国際センター(JICA沖縄)に建つ
末次先生の胸像を清掃しており、
その時の参加者で10回忌に当る今年、
「学ぶ会」を実施することを計画していたが、
3月11日の大震災で開催を躊躇していた。
宮城県他被災地の同志と語らい、「参加できる」、
とのことだったので開催に漕ぎ着けた。
この政治状況の中で、末次先生ならどう動かれる
だろうと思い、声を思い起こしながら、
共に語り合う会にしたい。とあいさつ。
次に主賓で葬儀委員長を勤められた中曽根元総理。
官職に就かず、一介の野人として、
一国家の国民として、全力を尽くした人で、
その主張は心から受け入れられる、そんな人であった。
日本人のみならず外国の人にもこの心が通じた。
ロシアのプリマコフ元首相に般若心経を軸にして
贈ったら、彼は家に飾っていたことでも分かる。
多分般若心経は彼には全く理解できなかったと思う
のだが、末次先生からの贈り物として何よりも
大切にしていた。
末次先生はそれだけの人格力を持っていた。
自分の誠と愛国心をもって事にあたってきた
末次先生に心からの敬意を表する。
日本国民を代表する大きな仕事をした。
誠に見事な人であった。戦後稀に見る国士であった。
今の日本に一番欲しい人である。
心からご冥福をお祈りする。
と顧問の生き様を絶賛された。
次に小池百合子(自民党総務会長)さん。
司会者は本来なら与党議員から先にごあいさつを
いただくべきだが、・・と前置きをしての登壇。
末次先生が父(小池勇二郎さん)と
1959年に中東・アフリカを10数カ国を周り、
青年海外協力隊の構想を立てた頃からのお付き合い。
末次先生にいただいた手紙を大切にしている。
キャスターから参議院への出馬の時も、
衆議院選挙に臨むときも、
何時も相談してご指導を仰いでいた。
先生はお前のは相談でなく報告だ、などと
いいながらも何時も暖かく指導してくださった。
父とはいつも国家に関する議論をしていた。
今の政治の姿は、末次先生に本当に申しわけない。
しかし、末次イズムは若者にシッカリ受け継がれている。
末次先生からエネルギーをいただいて
これからも頑張りたい、旨を表明された。
(少し長くなったので、続きは後日、紹介したい)
今日も、皆様に幸せの多い日でありますように・・・・
感謝・感謝・・・・合掌・・・・