最近あまり大きいものを描いていなかったが、大きなものを展示する機会があるのでそれに向けて久々に大きなものに取り組んでいる。

前に大きなものに頻繁に取り組んでいるときに小さいものは実験も兼ねて試験的意味もあって描いていた。その頃ははあまり感じなかったのだが、大きなものを描くわけではなく小さいものを描くためのみに沢山描くようになったら感じるようになってきたことがある。小さいものに対しての大きさのことだ。当たり前なのだが小さいものは大きくはないただ何が描かれているかによって大きく見えることもあるということ。

単純な表現であればあるほどそのスケール感が大切になってくるのだと、、、

絵空事ではないことはわかっている

それでもメディアやネットで流れる情報がみじかな現実と異なるとにわかなには信じがたく思えてしまう。聞いただけのもの見ただけのものが本当のことと思えるには信頼が関係してくる。信ずること信じられることは大切なことだと改めて思った。

信頼できる信ずることができるものに満たされた世の中であって欲しいと思う。

 

ここのところ箔押しをしている。

久々のことなのだが、箔押しにしても絵具を塗るししても

乾くまでの待ち時間というのがあり、

いろいろと頭を巡らす時間ともなる。

すぐに手を進めるのが好きな人いるが

私はこの時間が結構好きだったりする。

だからこそ今使っている素材を

使い続けているのかもしれない。

 

ずっと光について考え

表そうと描いてきたのだけど

その私の表そうとしているものが

本当に光と言っていいものなのだろうか、

光と呼べるものなのだろうか

だんだんわからなくなってきた。

 

人に求められ説明するたびに

もっとしっくりくる言葉が

あるのではないかと考えさせられてしまう。

思い返せば自分の表現がなんとなく

収束するように強く明らかになっていくと

それに伴い本当にこれで良いのだろうかと

思いが浮かび上がり

その度にそれまでのものを打ち破るように

新たな考えを見出して

それに伴う表現を模索してきた

 

今回も光を表そうそ思い始めて

だいぶ時が経ってきたので

そんな時期がきたのかもしれない。

 

大学生の頃、粘菌という生き物の生態を知って

すごく興味を惹かれたのだけど

またそのことが思い出された。

 

表現は形として決定ずけられてしまうと

表現力は増すのかもしれないが

その持つ生命力は弱くなってしまうように

私には感じられて仕方がない

それは新たな種を生み出すための

ものであるかのように

 

今一度そんな生命について考えたく思った