透明感のある乾いた空気と虫の声。

いまだにツクツクボウシが

鳴いてはいるけれど

はっきりと秋を感じることができます。

 

 

 

 

あまりにも気持ち良い日々なので

午前10時のギャラリーオープンまでの時間

天気の良い日は毎朝材木運びを

やることにします。

 

毎日こつこつやれば

年内には材木運びは終わることでしょう。

 

ついでにさぼりすぎた夏で落ちた体力を

戻す良いきっかけになりそうです。

 

 

さてさて、昨日は雑誌の取材を受けました。

 

旅雑誌の取材で

屋久島の雑貨店やホテルや飲食店など

数軒取材して回られているそうです。

(詳細はまた雑誌発売のころお知らせします)

 

いつもの取材のように

なぜ屋久島なのか

なぜ木工なのか

どんなスタイルなのか等々

自分の半生を織り交ぜながら

語っていきます。

 

過去を振り返りながら

語っていくので

そういえばあの時は

こんな気持ちだったなとか

あの頃は楽しかったなとか

今の自分の原点を

再確認するきっかけにもなります。

 

 

子供時代のこと

サラリーマン時代のこと

専門校時代のこと

屋久島移住のこと

農業のこと

木工のこと・・・

 

 

過去を振り返っていると

人生を攻めている時期と

守りに入っている時期、

2つの時期があることに気がつきます。

 

サラリーマン時代なんかは

守りに入っていた典型的な時期でした。

 

毎月確実に入ってくる月給。

言われた仕事を問題なく

黙々とこなしていると

確実に支払われる給料。

 

経済的安心感は間違いなくそこにあり

このままこの状態に安住するのも

ひとつの人生のかたちです。

 

一方、

転職や移住、

小屋やギャラリーを建てたり

にわとりや木工など

新しいことに挑戦する時期は

結構攻めていたなと思います。

 

攻めるという表現を使っていますが

そこにはすごくわくわくした楽しみ、

将来のきらきらした期待や希望があって

そして体中には

エネルギーが満ち溢れていて

そんな時期は不思議なもので

助けてくれる人が現れたりして

上手く物事が進んだりします。

 

守りに入っている時は逆に

それを守ることにきゅうきゅうとして、

(私の場合は会社に馴染もうと必死だった)

心配や不安に支配されることが

多かったなと感じます。

 

 

案外、人生の本質はそんなところで

守りに入ってきゅうきゅうとしているよりは

変化を恐れず、

変化は常にあるものとして

それを楽しんでいくことができれば

宇宙が味方をしてくれるのか

案外物事は

うまく運んでいくように思います。

 

 

 

材木置き場。
 
昔は鶏小屋でした。