小学生のころよくプレイした人生ゲーム。

 

人生で起きうることを

双六方式でバーチャル体験するもの。

 

最初に疑似貨幣をプレイヤー全員に配って

ルーレットを回し、

出た目の数だけコマを進めていく。

コマを進めていくマス目には

自分に起きる出来事が書かれていて

それをバーチャルで体験していきます。

 

いろんな失敗

いろんな経験がちりばめられています。

 

よくできたゲームだなあと感心します。

 

大富豪にもなれるし

子供ながらこんなのあり?

と疑問に思ったゴールで子供を売って

お金に換えるという謎の設定があったり。

 

へたしたら無一文でゴールして

がっかりなんてことも。

まあこれはあくまでも仮想の世界。

 

では現実の世界ではどうでしょうか。

 

ずいぶん昔(数十年前)

もし自分が無一文になったら

いったいどうなるだろうか?

いったいどうするだろうか?と

自問自答したことがあります。

 

答えは”何とかなる”でした。

 

無一文だとしても

気候、環境が良いところに住んで

畑で野菜やイモを作って

田んぼで稲をつくり

海や川で魚をとってくる。

貝なんかとれたら最高。

考えただけでわくわくしてきます。

 

家なんかもそんなに

贅沢なものは要らなくて

寝るところと台所と

風呂トイレがあれば十分。

広い庭があればもうそこはリビング。

無一文でも廃材を使って小屋のような家を

自分で建てたら面白いだろうなと

こんな想像もわくわくしてきます。

 

自分の人生を振り返ってみると

どこかゲーム感覚で

歩んできたようなところもあります。

 

たぶん

無一文になっても何とかなるという

感覚があったので人生をゲームのように

とらえることができたのかもしれません。

 

そしてこのリアルゲーム、

人生ゲームと違うのは

進むべきマス目は白紙ということ。

何を描いてもOK!

 

昔に考えたわくわくすることが

いくらでもできる。

 

お金は無いけれど

自分の意志で一コマ一コマ

白紙のマス目にコマを進めていく人生は

スリルもあるし面白味もある。

 

次は何をしようか

次は何を作ろうかと

次のマス目を求めて進んでいく。

 

このリアル人生ゲーム、

遊びの人生ゲームと違うのは

ゴールするとき(死ぬとき)

歩んできた人生を

お金に換算する必要はないということ。

勝ち負けなんて無いということ。

 

いかにこのリアル人生ゲームを

楽しんできたのか

やりきったと思えるのか

そこが一番のキモなのだろうなと思います。