*お久しぶりです。
実はいまRADAinTOKYOに通ってます。K2です。
かなり身のあるWSを経験してます。
さて…昨日はそのRADAが16時に池袋で終わり、同期の発表を見るため17時までに航空公園にダッシュするというなれないことをしたためか、昨日痩せたね。と言われまくりました…←
舞台総合実習1A
「夏の砂の上」
@アートセンター実習室1
*1998年の長崎の夏が舞台。とはいえ、正直カレンダーに年代が書いてなければいつの話しかわからなかった。
僕は作品を見る力が衰えたのか、話の筋が追えなかった。僕の理解力の無さであって欲しい…
冒頭。平穏な一人一軒家に住む男を表していたのだと思う。平和なところに様々な問題が投げ込まれていく形はよくある。
ただ、どうも平穏ではない感じが見える。年齢設定が読めない。
確かに、主人公だと思われる男は、いくつかネガティブな事実を経験していて夏の暑さ相まってか、すこし気だるそうに存在していたが、空間に対するステータスと体感の持って生き方がどうもノンリアル。リアリズム演劇なのだろうから、もっと役の年齢に見られる行動、癖、呼吸感等をもっと研究するべき。
つかみとしては不十分。
案の定そこに問題が次々とやって来たのだが、関係性が見えない。二人の間にある例えば夫婦だとか友達だとかの距離感がうようよし過ぎて定まらない。見ている側は作品をしらないし、ましてや説明的な台詞が少ないからもっとお互いのステータスの差と体感の置き方、空間への存在の仕方で自分の置かれている役としての位置を提示しなくてはいけない。
おそらく、配役のときに、同年代だと
私の娘だって。ははは。とか。
おかーさーんとか。
お前と結婚かよとか
え お前の下につくの?とか
往々にして会話される。
だが、役者はそれで互いの関係図が組たったかもしれないし、何回も稽古を積めば理解も深まるだろう。その為、役としてその位置に存在するのではなく、役を演じている一個人としてその位置に存在してしまいがちだ。特に仲間内の芝居には多く見られる。
だが、観客はその関係図を知らないで見るから、舞台上に存在した瞬間に関係図を読み取る姿勢でいる。だから、そういった台詞や仕草を知らない間に敏感に反応するようになっている。だからとにかく舞台に立ったその一瞬は強く存在してほしい。
この事実は演出は指摘はするが演出の仕事ではないから役者が積極的に位置とステータスを提示していかなければならない。ああ、同じく仲間内の演出だったら話しは別だが。
先程からステータスという言葉を頻繁に使っているが、このステータスというものは、上にも記したが曖昧になりがち。
・相手に対するステータス
・空間に対するステータス
・時間に対するステータス
・物に対するステータス
大きくこの4つを役者は認識するがそのリアルなところまで体感をもっていけない。
今回の芝居はそのステータスが持っていけてない場面が多すぎて、内容よりもとにかく関係図を追っている間に終わってしまった。
それが僕の理解力の無さであることを祈りたい。
照明の場面転換の時に入るゴボは、原爆の強い光と、雨の降らない長崎に照りつける太陽の反射を表していたのだろうか?
あれと、場面転換が見えるお陰で、集中途切れず全シーンを見れた。
音響に関しては、なんでアコーディオンをつかったのだろう… 長崎だったっけ?あれ?
ごめんなさい無知で
ああと、雨の音とか、セミとか犬とか、もっとディティールにこだわれば良かったなぁ。
それは美術も。カレンダーだけ汚れていたのはなんでただろう。
*なんやかんやかいてしまったが、やっぱり同期の芝居をみると刺激受けます。
ありがとうございました