肩こりの痛みに気づかないのに似て | ひとしずくの純金

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たったひとつのわたしの生き方を見つける旅

 

痛みに気づくのはたいへんです。

痛いんだから気づくだろう、
と思いそうなもんだけど

それが案外、気づかなかったりする。



ひどい肩こりなのに
ほぐしてもらうまで気づけない、

なんて良くありますよね。

それと同じで

 

悲しみ(怒り、悔しさ・・・)を感じているのに
こころの痛みに気づけない

 

といったことがあります。



「私は悲しんでいる」
「私は悔しがっている」

などなど

嬉しくない感情をそれと気づくのは
文字で書くよりずっと難しい。

ずっと難しいし
その上、ずっと痛い。



不快な感情への気づきには
痛みが伴うことも多い。

「別に平気」
「たいしたことない」

と感じているほうがラクなんですね。

 

感情的にマヒすることが

習慣化しているのかもしれない。

 



不思議なもので
こころが健康で豊かになるほど

不快な感情に
しっかり正確に気づけるようになる。

受け止めきれない感情は
こころのほうが気づかないように
”配慮” してくれる。



だから、
こころの痛みに気づけるっていうのは

ある意味では
気づけるだけの ”こころの体力” がある

ってことだと思うんです。

 








カウンセリングの場では

「もう終わったこと」
「あのことは気にしていない」

という出来事に対して
改めて痛みを感じることがあります。



その当時、
出来事のサイズそのままに受け止めるには
自分にとって辛すぎるとき

人はこころを守るために
実際の出来事より

サイズを小さく受け取ったり
衝撃を弱く受け取ったり

という修正をするようです。



そして、
”こころの体力” が回復したり
柔軟性を取り戻したりしながら

少しずつ出来事のありのままに
触れていけるようになっていきます。



カウンセリングは
その準備をする場でもありますから

こころの体力がついて

 

不快な感情も

受け止められる余裕が出てくると

過ぎたと思った出来事の、

たいしたことないと思った出来事の、


実際のサイズを感じられるようになって

逆に痛みを感じる瞬間がやってくる
というようなことが起こり得ます。

それは大きな前進です。



ただし。

これはただ過去を語る
といったことで起こる痛み(再受傷)とは
区別しなければなりません。

カタルシスなんて言ったりしますが
あれは不用意に話しを促すだけだと

話し手は再受傷するだけで
得るものが少なく注意が必要です

(瞬間すっきりしたようでも後でぶり返します)



再受傷の痛みではなく

出来事の実際に気づき
出来事を終わらせる痛み

であるよう体験の仕方やタイミングは
慎重に準備なされるべきです。

なかなか時間がかかりますが
大事なことです。



再受傷との違いを見分ける

目安としては

痛みを感じつつも
ほっとするような安堵感を伴う体験

であればいいかな、と思います。

 



痛みに気づくのはたいへんです。

だからこそ

痛みに気づくところまで進んだことを

誇りに感じてほしいなとも思います。

痛みに気づけるだけの
こころの体力が戻ってきた。

それは新たな自信をくれるものだと思います。
 

 

 

カミヤカオリ

 

 

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