必要な議論を避ける残酷さ | ひとしずくの純金

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たったひとつのわたしの生き方を見つける旅


「どっちでもいい 」の残酷さについて

議論することがありました。


コーヒーにするか、

オレンジジュースにするか、


の「どっちでもいい」ではなく


夫婦の別姓を選べるようにするかどうか、とか

皇室は存在したほうがいいかどうか、とか

同性同士の結婚はできたほうがいいかどうか、とか

軍隊はもつべきかどうか、とか


そういう水準の議論です。




この水準で展開される議論において

「どっちでもいい」というのは


 一見、鷹揚で心が広くみえるものの、

無関心になりかねない残酷さを含んだ発言


だと私は考えています。




これらの「対立を呼び起こす議論」に

腰が引けてしまうのは

すごくよく分かります。


私だって

正面切ってこの手の議論をするのは


相手を選ぶし

場面も選ぶし


誰彼にふっかける議論だとは

思っていないし、


自分の意見を表明するのを

強制されるべきテーマでもないと思っています。




だけど、大人になればそれらについて


自分の意見や考えを表明すべき場面に

行き合うことがある、


とも思っています。


 


自分個人にとって

「どっちでもいい」ことであっても


誰かがそれらの現状のせいで


困っているかもしれない、

傷ついているかもしれない、

犠牲になっているかもしれない、


ことについて

「どっちでもいい」と思っていることと

同義になってしまうことがあるからです。




自分個人にとっての意思決定と

社会全体の在り方についての意見は


別になることもあり得るわけですが、


もし、社会全体の意見について求められたら

私は自分なりのコメントができる自分で

ありたいと思っています。




そして、議論のできる環境が

与えられていることにも

感謝したいなぁと思います。


議論を重ねるうちに

自分の考えの偏りに気づけるし

より実態に近づいた知識を得られますよね。


それを繰り返すうちに

より自分の意見や立場がより明確になる。


物議を醸しかねない話題に直面しても

いずれ落ち着いて

自分の見解を表明できるようになる。


そうなるとよいなぁと思います。



 
対立をしかねない議論をしていますか?

対立を避けるあまりに
誰かの犠牲を黙認していないですか?

困っているかもしれない人を
切り捨てる方向に加担していませんか?

どうだろう。
正直、難しいことですよね。

それでも可能な限り、

必要な議論をできる自分でありたいな、

と思います。



 

カミヤカオリ

 

 

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